Entry

トップ > 信仰 > 日々キリストにありて

日々キリストにありて

ファイル 4700-1.jpeg


ニール・アンダーソンによる黙想


 だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります(ヨハネ7:17)。

 神の御心を知ることは20世紀のみの課題ではありません。キリストの時代の人々もそれでもがいていました。ある人々はイエスのことを「良い人である」と評し、また他の人々は「民衆を惑わしている」(ヨハネ7:12)と言いました。これらの人々はイエスが自分を真理に導くことを知り得たのでしょうか?
 機会をえては、イエスは神聖な導きの基準を設定しました。彼の最初の訓戒は「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります」(ヨハネ7:16,17)でした。神の御心を知る本質的な前提は、イエスによれば、御父の御旨を行う意思があることです。
 神の御心とは何でしょうか?イエスを信じる者たちにとっての神の御心は、悪しき者に打ち勝ちキリストのうちに生きることであり、神が召した者として完全に確立されることです。主の祈りの最初の言葉に注意してください:「天の父よ、御名があがめられますように。御国が来ますように。御心が天に行われるとおり、地にも行われますように」(マタイ6:9,10)。この祈りを祈るとき、私たちは天において現在なされている御心が地に行われることを求めるのです。明らかに神の御心は天においては完全に行われていますが、地では不完全です。
 そのことがいかなることであるかを知らずして、あなたは神の御心に完全に明け渡すことができますか?神の御心以上に自分の意志を保留してはいないでしょうか?あなたに対する神の御心は善であり、受け入れ易いものであり、完全であることを本当に信じていますか?(ローマ12:2)もし神が神であられるならば、あなたは神を主と呼ぶのですから、神はあなたの人生においてご自身の意志を行使する権利を持っておられるのではないでしょうか?

 父よ、あなたの御心が、天に行われるとおり、私の思い、言葉、行いの中に、今日という日に行われますように。

Access: /Yesterday: /Today:
{literal} {/literal}