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病気は神の賜物だから感謝して受け取りなさい

と教える人々がいるとのこと。ある集会の証の本に、「病気の癒しを祈ってはならない、悪霊が働くから」と書いてあるのを見て目が点になったことがある。この人たちは異言も悪霊によるとしているらしい・・・・。要するに病気の中で自分の十字架を負って主の造り変えの御業を受けることが大切ということのようだ。彼ら的にはこれがいわゆる聖化の過程なのだ。うーっむ。

つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。-Acts 10:38

悪魔に苦しめられて人たちをすべていやされた!これは悪霊に憑かれた人のこと?ここの「いやされた」は"iaomai"、Strongによれば"heal, make whole"とある。健やかにされることだ。イエスはあるときに方針を変えられたのだろうか?ヘブル書には、昨日も、今日も、永遠に変わらない、とある。

わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならばその言葉は決して取り消されない。-Isa 45:23

いじめっ子にいじめられて人格が錬られることを恵みとすることはあり得ないように(ニール・アンダーソンの黙想参照)、私たちは不当ないじめっ子には立ち向かうべきなのだ。

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。-James 4:7

いじめられっ子メンタリティーからマインドのトランスフォーメーションにより解放される必要があるのだ。これは病気だけではない。人間関係の束縛、貧困、逆に富の誇り、世のプライドなども同じ。あらゆる妨げから自由にされて神の国の豊かさを享受するためだ。

追記:次のような証もある。死を間近にした少女が天使のタッチを受けて癒されたと。映像も・・・。


追記の追記:ある読者の方からこの記事について次のような指摘を受けましたので、ご意見として掲載させていただきます。個人的な情報は抜いております。

さて、本日の病気に関する記事について、気になることを書かせてください。
病気に対しても受動的であることは避けねばなりませんが、現在病気をかかえておられる方が、あまねく受動性による不信仰の結果だと受け取りかねないような論旨になっている気がします。

いじめの話ですが、現場で多くのいじめを見聞きし、それに対応してきた者としては、いささか違和感を覚えます。
現在のいじめは非常に複雑で、簡単に立ち向かえるようなものではないし、それを病気と重ねて論じるのも、重なる部分はほとんどありません。
また、いじめの経験を通して、加害者も被害者も傍観者も、またそれに関わる第三者も、成長することはたくさんあります。まさに人格が練られるわけです。
私も子どもたちがいじめいじめられる姿を見ながら、いろんなことを教えられてきました。
まさに深刻ないじめの渦中にいる子どもをお持ちのご家族は、記事を読まれるだけで、どのような手段や方法をもって、いじめっ子が不当ないじめに立ち向かえるのかという絶望感を覚えられる気がします。

どうも癒しとかいじめの問題はかなりセンシティブなトピックであることは否定できないようです。私の論はきわめて単純化しておりますので、ご了承ください。

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