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信によって

ギリシャ語の"pistis"を「信仰」と訳するのは不適であると先に指摘した。「信じて仰ぐ」のではない。それは私の業になってしまう。個人訳の「新和訳」を見ると、こうあった:

さて、信とは、望まれている事柄の実体化であり、未だ見ていない事柄を確認することである*1。・・・信によって、わたし達は、この世が神の御言葉(レーマ)によって造られている・・・-Heb 11:1;3

信。これは適切だ。ガラテヤも

もはや、わたしが生きているのではない。キリストがわたしの内に生きておられるのである。わたしが今、肉にあって生きているこの太命(ゾーエ)を、わたしは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をお与えくださった神の御子信によって生きているのである。-Gal 2:20

pistis、信は自分から生まれるものではない。神の霊が内に息吹いて下さるのだ。信仰ではなく、ただ信。それは恵み、ギフトだ。

追記:なぜか、花粉症がほとんど出てない。実はこう祈っていた。主イエスの名によりIgE抗体よ、花粉に反応するな。ヒスタミン分泌されるな。免疫系よ、過敏に反応するな、と。一応、私は医学博士なのだが・・・。

*1:「確認する」は、エターナルライフ版のように、「あばく」とか「現出させる」の方がベターと思う。

Comment

電気屋

イイね!

  • 2015/03/09 21:37
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Luke

はい、メッセでも語りましたが、日本語にした時点で、混合物が入るのです。これでニッポンキリスト教ができ、クルシチャンを大量生産するわけです。

  • 2015/03/09 21:54
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