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祈り・信はポータルを開く

本日の家族との会話から:

私が、清田君などの超能力者は、スプーンが柔らかくなって、切断される映像が見えるとき、実際にもそうなるらしいよとふると、カミさんが、そうなのよね、包丁でトマトなんか切るにしても、包丁の刃がなまっている時、普通にやるとつぶれるけど、頭の中でサクッと切れたイメージが湧く時って、現実にもきれいに切れるから。何か、この世界に穴があいているところがあって、そこからイメージしたことや祈ったことがすっと入り込んでくる感じがするの。

と、娘も、そうそう、大学受験のときも一時パニクったけど、がむしゃら祈ってるうちに、ふと心に穴が開いて、ホッとして、受かったと思った。そしたらほんとに受かっちゃった。もう一回、同じようなことがあったけど、穴があく感じってわかる・・・。別の娘も中学受験で1次、2次と二度落ちたのだが、その発表の日の晩、電話が鳴ったとき、あ、合格の連絡だとわかったと。そしたらほんとに受かっていた。あの時もそうだけど、そんな時って事前にわかるから不思議。

物理的時空間と霊的領域はすぐ隣り合っている。私たちはそのエッジ、狭間にいて、ポータルあるいはドアとして両方の世界を結びつけている。あたかもドラえもんの「どこでもドア」のように、私たちを通して霊的領域に抜けることができるし、霊的領域の事実(サブスタンス)を物理的に現出させることもできる。癒しなどはまさに二千年前の十字架の事実(サブスタンス)を、今、ここに、現すことだ(実体化)。私たちの祈りあるいは信はこのポータルを開ける働きがあるのだ。私たちの祈りあるいは信を通して、物理的時空間と霊的領域の間にサブスタンスの流れが生まれる。そのポータルが開く瞬間、私たちの心の中ではホッと落ちる感覚がするのだ。祈り求めていたことを「得た」と分かる。まことにヨハネが言うとおりだ:

私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。-1John 5:15

天の門が開く感覚、幸いだ。大胆に祈り求めようではないか。既に天は裂けているのだから(Mark 1:10)。

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