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ビョウキの坩堝、ニッポンキリスト教

夏の朝はラジオ体操。おじちゃん・おばちゃんたちと汗を流してきました。そして今日から遊びへと出かけます。

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キリスト教なる教義の体系と実行が人間を自然な状態から一種の変性意識状態へと追い込み、病理性を生み出すことは前から何度も指摘してきた。ナザレのイエス自身は別にキリスト教の教祖でもないし、そのような宗教を創始したわけでもない。彼は健やかないのちを提供するために地上に来て下さったのだ。

ニッポンキリスト教との意図せざる関わりから分かったことは、このギョウカイ、ビョウキの人々の坩堝であること。多いのは妄想性人格障害、境界性人格障害、自己愛性人格障害、気分障害(単極性・双極性)、強迫性障害あたり。健やかな人が実に少ないことが分かる。これらのビョウキの人々が"正統な"教義や"聖書的"実行に入れ込むと目も当てられなくなる。これがローカルチャーチやクリスチャン・トゥデイで観察される病理現象である。彼らが自分たちの教義や実行の聖書的正統性を主張するほどに、普通の人たちであればそこから醸される違和感を覚え、引いていくことであろう。

エホバの証人などもギリシャ語を駆使して、その教義の正しさを論証するわけだが、その土俵に乗る前に、彼らの醸す違和感に気が付くべきだ。ちなみに8月中彼らは横浜アリーナで聖会(というのか知らん)を開いており、1-2万人が集まっているようだ。プロテスタントが50万程度に対して、エホバの証人は20万と推計される。しかもプロがバラバラなのに対して、彼らの一致度はすごいのだ!かくして彼らは自分たちの存在をアピールするほどに、そこから"何か"が醸されていることに気が付いていない。

逆に言えば、彼らとガチンコで議論するのではなく(これはむしろ無意味。彼らは赤いメガネをかけているのだから、すべてが赤く見えるわけ。これを「認知の歪み」あるいは「認知の選択的透過性」と言う)、彼らとのやり取りの中で、彼らの病理性を炙り出せばよいわけ。まともに聖書を提示して云々しても、彼らの思考回路を変える事はまず不可能と思ったほうが良い。彼らは物事を相対化することを知らないからだ。この相対化できない人々がビョウキの人。鬱病者は自分の気分に飲み込まれる人。妄想者は自分の歪んだ想いに飲み込まれる人。かくして現実から反れる。これが彼らの違和感のルーツ。分裂病ではプレコックス感などと言われる。

さて、そこで彼らを判断する際、すべからく次のような思考実験をすれば、すぐに分かることなのだ。

Q.ニッポンキリスト教がすべてダビデ・張やウイットネス・李、あるいはラッセルの得た"啓示"で統一され、日本の教会が"回復の教会"とされたら、果たしてどんな光景になるだろうか。

ここで前に書いた記事を再掲しておこう。その後、私の読みどおりの展開になっていることが分かる。

CTの不可解性の理由

クリスチャン新聞とリバイバル新聞が再度記事を書いた模様。ところが、CTはクリスチャン新聞に対しては抗議を入れ、要求を呑まない場合は法的手段を取ると威嚇しているが、他紙には何のお咎めもなし。山谷氏は実に不可解と言っておられる。これが下にも書いたエディプス葛藤のなせる業なのです。

つまりCTは事実に即して動いていません。彼らの内的世界(内部表現)に基づいて動いているだけなのです。これが世間との齟齬を生み出しているわけですね。私がこれだけ彼らの"名誉毀損"をしていても、私に対しても何のお咎めもなし。ここでのポイントは、彼らの葛藤を炙り出すキーワードは「クリスチャン新聞」と「OCCビル」にあります。

フロイトは患者が幼児期の性的虐待の経験などを報告しても、それが患者の記憶が作り上げた幻想である事を見出しました。しかしそれが現在の病理のルーツになることも。つまり人は客観事実によって生きるのではなく、内的事実(客観的事実とは異なっていても)に従って、それに対して反応するものなのです。現在CTにおいてはこれが展開しているわけです。

それにしても一連の経過においてクリスチャン新聞の根田氏が「これまでも当社に対する事実無根の疑惑を主導してきたとされ、今回の報道に関しても、その延長線上にある行為と言わざるを得ません」とし、同氏が裏で糸を引いているとする彼らの主張を診る時、相当に彼らの内的状態が重篤であろうと推測できる次第。まあ、一言。報道機関の体をなしていません。これはぜひ裁判して欲しいものです。きっと東京地裁の歴史に残る裁判となることでしょう。

(陰の声:それにしてもCTは読み通りの動きをしてくれますし、自縛路線を歩んでいますね。)

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