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「繁栄の神学」ってなんだろう?

Joel Osteenをはじめとするいゆわる"Word of Faith (WoF)"運動についてはかなり批判や非難があるようだ。異端だとか、カルトだとか、さらにはニューエイジだとか・・・。特にその中の「繁栄の神学」と称される分野はかなりエキセントリックな反対がある。正直に言えば、極私的にはなぜなのか、ちょっと理解しかねている部分があるのだ。彼らに言わせるとこれらの御言葉は何を意味し、どう理解するのであろうか?

するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。

また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、

「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。

愛する者よ。あなたが、たましいが栄えているようにすべての点でも栄え、また健康であるように祈ります。

私の理解するレーマとロゴスの違いや、信仰の定義についてはすでに書いているが、信仰とはサブスタンスとその現れ、それは語り出された言葉、レーマによること、言葉には力があること、罪の赦しも病の癒しも十字架の中に含まれていること、もちろん必要の満たしも・・・。イエスはすべての病気を癒し、欠乏していたパンを増やし、人々を満腹させたこと。イエスは御父の完全なる表現であり、御父の意志を100%行ったこと、彼の語った言葉は御父の言葉であったこと・・・。

つまり御父の御心は人間のあらゆる罪を赦し、病を癒し、必要を満たし、健康を与え、あらゆる面で豊かに飽かせて下さることであると分かるのだが・・・。極私的には、これらの御言葉をアレコレこねくり回さず、単純に同意して、感謝しつつ受け取るだけなのだ。なぜなら、尊い御子イエスの血がすでに流されているからだ!

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。-Ps 103:1-5

追記:参考までにOsteenを偽預言者と糾弾するビデオを貼っておきます。

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