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またぞろ・・・

ファイル 491-1.jpg今朝はやや湿度があるものの、涼しく、気持ちのイイ走りができた。最近のBGMはアムロの"BEST FICTION"。昔の小室系はあまり好まなかったが、最近の彼女はアダルトな雰囲気で、けっこうハマル。

 * * *

ファイル 491-2.jpgかつて、トロント・ブレッシングとか、ペンサコラ・リバイバルとか、一時期もてはやされ、ニッポンキリスト教のその系の人たちが、足繁く詣でたこともあった。で、このところおとなしいなあ、と思っていたら、ちゃんとありますね。リバイバル新聞ハーザーといったその系のメディアのネタが。リバ新では「レイクランド 電流のような主の臨在」、ハーザーでは「飛び火するレイクランド・リバイバル」だそうです(笑)おいおい、そんなにしびれたいなら、電気風呂でも入れよ、と突っ込みたくなりますが。対する私たちは、先の奈良でも「まったり~」でした。普通のおじさん・おばさんが普通に主と共に生きる、で何か不足があるのでしょうか?

さて、そこでこの「レイクランド・リバイバル」、どんなスジのものでしょうか?終末の警鐘を鳴らしている"The Last Trumpet Ministries"の記事を、ニッポンキリスト教では"格別"の評価を得ておられる小石泉牧師が訳して下さっていますので、紹介しておきましょう:

リバイバルの実相

Last Trumpet Newsletter 8月号より
 アメリカでは時々、リバイバルと称する信仰運動が起こる。かつてはそれらの中には有益なものもあった。しかし、最近のものは怪しいものばかりだ。トロント・ブレッシング、ペンサコーラ・リバイバルなどなど、そしてここへ来て、フロリダ州レイクランドでトッド・ベントレーという男が脚光を浴びている。世界中から無数の人々がここに来て“癒し”とか“解放”とか“奇跡”を求めている。ところが、このベントレーという男は全身にオカルトの刺青をし、至るところにピアスをしているのである。旧約聖書のレビ記には「死人のために身を傷つけてはならない。また身に入墨をしてはならない。わたしは主である。」19:28 と書かれている。(↑写真の首に注意)
 彼は人々に手を置いて後ろに倒すのだが(これは最近の“リバイバル”にはつき物)イザヤ書には「それゆえ、主の言葉は彼らに、教訓に教訓、教訓に教訓、規則に規則、規則に規則、ここにも少し、そこにも少しとなる。これは彼らが行って、うしろに倒れ、破られ、わなにかけられ、捕えられるためである。」28:13 と書かれている。また、ベントレーにはエマという天使がついていて、金粉を降らせたりする。(この金粉も“リバイバル”にはつき物。実に下らないのだが・・・)
 この他、オフラ・ウインフリーという女性がNew Age Christという講習を衛星放送で始めた。そのレッスンの29課は「神は私が見る全てのものである」と参加者が言うことを要求される。61課では「私は世界の光である」と何度も言うことを要求されるのだが、ここに「キリストによって」という言及はない。70課では「私の救い主は私から来る」とある。
 また、15600人の会衆を持つケリー・ショックという牧師はいくつかのセックスに関する手引書を教会員に配布している。それらの内容についてABCニュースは「今や、教会は“プレイボーイ”よりセックスについて詳しいアドバイズをしている」と書いている。

まあ、よく凝りもせずと言う他はないです・・・。

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

Comment

Koji

ルークさん
ブログの周知ありがとうございます。

さて、キ業界の新ネタですが「またかよ」と言うしかありませんね。懲りない人達です。やることにオリジナリティーがありませんし、クリエイティビティーに於いては皆無です。

神は、我々をクリエイティブに創造されたはずなのになー、イマジネーションが窒息しないように「自己管理」はやはり大切です。

  • 2008/08/26 17:52
  • Edit

KAWANISHI

小石泉牧師のニュースレターの読者です。
先程、彼に確認しましたが、版権がないにせよ本人に連絡なしに勝手に記事を載せるのは非常識ではないでしょうか?マナー違反でキリスト者としての資質を疑います。

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