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竹内まりや"Expressions"

本日は休講日。涼しくなると共に、やや夏の疲れが出てきている。特に脚の筋肉が張っており、歩くのがぎこちない。月曜日から水曜日までの雨で走れず、身体を休めることができたが、本日は快晴。土曜日はスケジュールがあるため、午前中はプールとサウナ。午後はそのままSpa Libur Yokohamaへ。バリ風の天然温泉で、色はクロ。ややぬめりがあるが、青空の下の露天風呂はサイコウ。午後はずっとここで。

そこのビュッフェでランチをとっていると、韓国の女性三人とその旦那とおぼしき二人が、なにやら「神様は・・・、聖霊様が・・・」といった話をしている。どうも旦那に福音を伝えているようだが、旦那はかたくなに拒否。で、什一献金の話になり、ある女性が什一献金をやると経済的に恵まれるんだから、どんなに苦しくてもしなさい、とか。どうも祝福を何か条件を満たして買うかのような感じ。エペソ書には、私たちは天のところで諸々の霊的祝福を持ってすでに祝福された、と書いてある。単純に信じましょう。条件付きにしてはなりません。

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ファイル 552-1.jpg竹内まりやのデビュー30周年を記念したコンプリート・ベスト・アルバム"Expressions"発売。彼女の魅力はその相変わらずの若さと甘い声にあるのだが、ある人がこう評していた

退屈で平凡な日々を愛おしく思わせる才能
 低くて太いその歌声は、本人には申し訳ないが、必ずしも美声というわけでもない。しかし、つややかな人間味を備えていて、その歌声が聴こえた瞬間に光が広がっていく、そういう存在感が、この人の歌声にはある。言うまでもないことだが、歌のなかでの物語や状況設定の見事さ、主人公を描く際のきめ細かさ、そして大胆さ、それらをひとつひとつあげていけばきりがないが、いつも感心させられるのは、そこに寄り添うメロディーやリズムに無駄というものが一切ないことだ。だからこそ、多くの人に愛され、親しまれてきたのだと思う。
 映画やテレビドラマの主人公のように、誰もがドラマチックに毎日を過ごしているわけではない。むしろ、ささいなことに悩んだり、迷ったりしながら、愚痴のひとつやふたつこぼしながら、あるいはこぼしたくとも相手さえいない退屈で平凡な日々をせっせと重ねているほうが多い。竹内まりやという人は、そうやってわれわれが日々の営みにかまけて胸の奥深くしまい込んだり、忘れてしまった感情に光をあてる。こういう瞬間だ、平凡でもいいではないかと思えるのは。ポップスのすばらしさを、そうやって彼女の歌はいつもさりげなく伝えてくれているのである。

なるほど、である。彼女の歌の中に自分を見い出し、自分の人生に彼女の歌を見い出せること、つまり"人生の共有"。かく言う私も彼女と同世代で、青春時代から同じ歩調で歩んできたわけだが、彼女には私たちの世代の象徴としてますます輝いてもらいたいものだ。

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アメリカの金融再生修正法案が上院で可決。74兆円を投入して不良債権を買い取る構想。下院では不確定要素が残るようだが、日本の国家予算に匹敵する額(発行済み日銀券の残高とだいたい同じ)。これが有権者たちのわがままで否決されたら、マジやばい。アメリカよ、これまで自分たちが何をしてきたか、この機会に目を覚ませ、と叫びたい。

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