裁判員制度を危惧する
- 2009/01/26 18:02
- Category: 社会
江東区の女性を殺害し、バラバラに解体してトイレに流した、いわゆる「神隠し殺人事件」が結審した。裁判員制度を睨んだ進行だったようだが、法廷ではビデオで、詳細な殺害と解体の模様や被害者の肉片・骨片なども上映されたとのこと。
私は小さい頃から血が苦手でして、もし裁判員に選ばれたらと考えると、考えただけでゾッとするところが本音。前にも書きましたが、日本人には無理でしょうね、この制度。宗教界からもいろいろオブジェクションがあるようだが、宗教の教義がどうのこうのではなく、メンタリティーの問題として、継続は困難でしょう。とても冷静な判断を期待できませんし、裁判員の受ける精神的ダメージをどうケアするのか。
あるいは被告人から報復の可能性だってあるだろうに。私の知っている検事などは、昔起訴した者に電車の中で襲われたこともあるほどだ。デミ・ムーア主演の『陪審員』でもマフィアによって狙われる恐怖を描いている。自分が狙われるのはまだしも、家族に危害が及ぶ可能性が大であろう。パラノイドに陥る人が多いことであろう。
明治時代にも確か陪審員制度を試して挫折したと記憶しているが、何ゆえこんなことを急ぐのだろうか。国民の司法参加にしても、不可解である。一般人による公開石打刑を施行せよ、と主張する再建主義の人々でもない限り、日本人として普通の神経を持っている人にはまず難しいでしょうね。
付録:本日のドキュメンタリーで精神科救急の現場をレポしていた。一言で言えば修羅場。スタッフ側も命の危険もある。精神疾患者数は300万と推定されており、いわゆる脱施設化により50万は病院から追い出されて、社会の受け皿もないままに、さ迷っている。現に昨年は行きずり殺人が過去最高を記録。
そして彼らがニッポンキリスト教界にも流れ込んでいる。前にも書いたが、精神障害者を教会が引き受けることは避けるべきだ。それはきわめて危険である。私の印象では病んでいる人によってニッポンキリスト教は内部から侵食されている。この業界と関わること自体が危険になりつつある。
zion
ウチの家内も、被害者の遺族の感情を考えたらこうも無神経なことをするものかしらと。小生も、だいたい言い出しっぺは誰なのか、国民が望んでもない制度をこっそり忍ばせたのはいったいどこの誰なの?と。
これも年次改革要望書に沿ったものなのか。