真のリバイバルとは?
- 2009/02/17 08:24
- Category: 信仰
- Tag: ニッポンキリスト教
まず「リバイバル」と言う単語を私は好まない。その単語から生まれるイメージはあまりにも人の手垢で汚れているからだ。むしろ「霊的覚醒」と言いたいのが本音なのだ。一言で言えば、ニッポンキリスト教の現状と真逆を考えてもらえばよろしい(→ニッポンキリスト教の7不思議)。現状をリストすると-
・伝道、伝道・・・と急き立てられ、落ち着いていられない。
・愛だ、愛だ・・・とうるさいシンバルのようだ。
・礼拝出席厳守、献金忠実履行と追われる。
・聖霊様の注ぎを受けたい、満たされたい、恍惚したい。
・癒しの賜物、しるし、奇跡、金歯、金粉を求める。
・牧師に従え、牧師婦人を敬え、彼らの生活を支えよ。
・互いに自分が正統で聖書的であると喧喧ガクガクがなり立てる。
・あちこちの油注ぎの器の聖会をめぐり回る。
・いろんな雑誌や新聞や本が次々に出されては消える。
etc.
真に霊的覚醒があれば-
・ひとりひとりが神の中に安息する。
・ひとりひとりが神の言葉を聖書から聴くことができる。
・ひとりひとりが聴いた言葉を語り出すことができる。
・つねにどこでも神を拝することができる。
・すでに聖霊を得ていることを知って、つねに満たされる。
・誰にも教えてもらわずとも、内なる油に従って、神の御心が分かる。
・どっちが正統だろうと、別にかまわないし、派閥も作る要もない。
・自ら働いて、普通のおじさんやおばさんとして落ち着いた生活をする。
・ひとりひとりが聖書を直接知るので、メディアは不要になる。
etc.
現状、満ち足りているクリスチャンがほとんどいない。フラストレーションを自分の中でどうにもできず、絶えずキーキーと動き回り、ヒステリックに聖霊様の注ぎを求め、あるいは神学で満足を得ようともがくわけ。ニッポンキリスト教と言う業界の存在がもっともキリストの福音に対する障害なっていることを知り、むしろそこから真のキリスト者のあり方・生き方を反面教師として学び、ひとりひとりがキリストご自身へと立ち返ることができた人は幸いである。
細木
アーメンです。
先日説教準備した箇所で、改めてこの通りのことを考えたばかりでした。(ルカ17:20~15でした。)
満たされたくて聖会のはしごなんて、いまだに印と奇跡がそんなに欲しいなんて、神の国を理解していないということだと思ったのです。
ただ、内なる油によって神の御心がわかるというのは、聖書の読み方を学んだ後だと思いました。デボーショナル・リーディングで、聖書を学んだと思っているような段階では危ないと思います。