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Dr.Lukeの一言映画評

ファイル 734-1.jpgアンジェーリナ・ジョリー主演の『チェンジリング』。Changlingとは取り替えられた子供の意味。さらわれた子供の代わりに妖精が醜い子を置いていくという伝説。クリント・イーストウッド監督作品。ある日子供が誘拐されるも警察は重い腰を上げてくれない。そして数ヵ月後戻った子供は別の子だった。母親は警察に訴えるも、警察に逆らう者として精神病院に収監される。その中には警察に逆らったがゆえにコード12で強制入院させられた女が何人も。ある日別の事件で誘拐された子供の情報が入る。そこで明らかになった真実とは・・・・。

アンジェリーナ・ジョリーが鬼気迫る母親役を演じていたが、彼女の出世作『17歳のカルテ』の反社会性人格障害者のリサ役を彷彿とした。時代背景も1928年、ウォール街の大暴落の前後であり、今と通じる。何が本物で何がフェイクなのか。こういった虚虚実実の危うい時代の漠然とした不安感を、ジョリー演じる母親が実にうまく表現している。イーストウッドはこういったセンスがなかなかなもの。

と言うわけで、先の『フェイクシティ』とも通じるモチーフ。つまり事の真実よりは警察が有利になるようにフェイクが構築される。報告書どおりに事態の収拾が謀られる。それに抗する者はむしろ妄想を抱く者として処理される。結局国家や社会の秩序を守るために捜査機関や政府が造り上げた"真実"が一人歩きするのだ。ケネディ暗殺しかり、911テロしかり。当局がフェイクを捏造したらわれわれ市民はそれを飲まざるを得ない現実。

実は私も刑事によって取調べを受けたことがある。被疑者としてではなく、証人としてであったが、彼らはやはりすごい。有無を言わせないオーラを放ちつつ、調書を私の言に従ってすらすらと書いていく。と言うよりは、すでにすべては出来上がっているのだ。私がしゃべろうとすると、「ああ、こうですね」と言ってたちまち文章が現れる。さらには私が知らないことについても、「あれはこうなんですよ」と言ってさらさらと。ほとんど私がしゃべるまでもなく、調書は出来上がり、「これで間違いありませんね」と聞かれ、「はい」と。最後に署名と母印を押して、おしまい。これが被疑者としての立場であったらたまらないだろうな、と思った次第。

かくして公式の『ウォーレン・レポート』や『911調査報告書』では物理学の法則を捻じ曲げても、ある意図に沿った事実が造り上げられる。それに異を唱える者は妄想を抱いた陰謀論者となるわけだ。国民は自分の生活が犯されない限り、そういったややこしい事態に首を突っ込むことは避けるのが賢明。政府の発表に対するもっとも賢い反応は思考停止。かくして国家によって大衆は飼い慣らされていく。今後、国家主義傾向が強くなる中で、「見ざる・聞かざる・言わざる」状態はさらに助長されるだろう。ナイーブなおとなしい羊として。

追記:花粉症のクスリを変えてみた。プラスアルコールで、ただ今中川氏状態・・・・。

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