Entry

トップ > 社会 > もろもろの世の風景

もろもろの世の風景

世の中いろいろと面白いことがあるようだ。

<其の壱>
ファイル 742-1.jpg玉置浩二と石原真理子が結婚。85年に不倫愛で破局するも、お互いを思い続けて24年。ちょっとした散歩を終えて、収まるところに収まったわけだ。手をつないで見つめあいツツの記者会見。イイではないですか、24年間秘めた愛の再燃。玉置氏が「真理と再会するまでは自分はおじんでした。今はときめいて、アノ頃に戻ったようです」と。うーん、なるほど人を愛すると若返るのだ。私達は主をつねに愛しているわけで、よって「あなたがたの若さは鷲のように新しくなる」と聖書にあるとおり。各々方、くれぐれも老け込んではなりませぬ。

ちなみに私の周囲のどこぞでも結婚への助走がなされているようで、その契機を提供できたかも知れないと言うことで、うれしく思っておりますよ

<其の弐>
ファイル 742-2.jpg週刊新潮がかつての朝日新聞の記者銃殺事件の真犯人と自称するオトコの手記を2月5日号から何回か掲載していたが、どうもそれがガセだったとのこと。週刊朝日編集長がじきじきに記事を書いている。題して「週刊新潮は死んだ(爆)」。どうも朝日新聞と週刊文春や週刊新潮はビミョウな敵対と言うか、競合関係にあって、互いの粗探しをし合っているのだが、今回のはどっちに軍配が上がるのだろうか。

<其の参>
強制猥褻で逮捕された74歳のカトリックの司祭が嫌疑不十分で不起訴となった(→記事)。どうも彼の親愛の情の表現の仕方が、ハグするとか、キスするとか、ニッポン人にとっては不似合いな形式だったようだ。セクハラとかもそうだが、これは相手との心理的距離に従ってその表現をしないととんでもない訴えをされてしまうわけで、私たち教員などもつねに同じリスクに晒されている。特に相手がビョウキだった場合、どんな訴えをするか、これはまったく予想できないわけで、アメリカでは精神科医やカウンセラーが裁判に訴えられることも日常なのだ。いわんやニッポンキリスト教においてをや、である。

<其の四>
花粉に自分を晒す実験結果。本日は外出の際、マスクをつけずにいたところ、鼻がムズムズと来て、ノドと鼻の境目がジワジワと来る程度。しかし鼻水がすごくて難儀だったが、いつものアレルギー反応はほとんど出ない。やはりザジテンALはキテますね。鼻の粘膜の過敏性もまったくみられず、目もかゆくない。何だかすごくうれしい気分。人間は不思議なもので、慣性があるわけで、使い慣れたクスリも、たとえ効き目がなくとも、何となく常用してしまうわけ。慣性に乗ることは実に楽だからだが、思い切ってチェンジすることが大切なのだ。霊的にも同じ。慣れた形式の礼拝なども思い切って壊していく必要がある。

Access: /Yesterday: /Today: