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るんるん麻生氏に思う

このところ上機嫌にして自信満々の麻生氏。G20財務相・中央銀行総裁会議では与謝野氏がアメリカの提案に全面賛成。GDP比2%以上の財政出動を約束した。麻生氏はアメリカのお墨付きを得たのだろう。対する小沢氏はクリントンの意向に実質的にNOをつきつけた。かくして今の窮地。要するにニッポンは見かけの主権国家であり、実質は植民地なのだ。

ファイル 766-1.jpg昨晩、東京裁判において文官として唯一A級戦犯として絞首刑になった広田弘毅を描いた城山三郎の『落日燃ゆ』が放映された。キャストが前の『華麗なる一族』の万俵家を彷彿としてしまったが、ストーリーは事実に基づく。

外交官にして外務大臣を務めた広田はそもそもは戦争に反対していた。が、それは見かけのことで、軍国主義者ではないが実質的には軍部に屈して戦争に加担したして裁かれた。広田は一切の弁明をすることなく、粛々と刑に服した。この判決に対してはキーナン主席検事すら「馬鹿げている、せいぜい終身刑までだ」と叫んでいる。対する吉田茂は憲兵隊に逮捕されたことにより免罪符を手にし、戦後はアメリカとの関係を作り上げた。

広田の生き方は武士道であったと感じる。自分にかかわった人々に類が及ばないように、すべてを飲み込み、一身にすべてを引き受ける態度。東京裁判が非合法の復讐裁判であったにもかかわらずだ。そして厚木に降り立ったマッカーサーに対して天皇も恭順を示した。ここで日本の武士道も神道の祭祀制度も、アメリカの合理主義に対して屈したのだ。精神病理的には日本が去勢されてニッポンと化する瞬間だった。

しかしその天皇も、実は、すべての責任は自分にあるとして、国民に対するとりなしをしたのだった。もちろん当時はそのようなことは国民に知らされない。軍服姿のマッカーサーの隣で直立不動のモーニング姿の裕仁の写真を見て、日本人はどう感じただろうか。かくして武士道も自己犠牲の精神もすべて葬られ、法律に反しない限り合理的に振舞って利益を得るというプロトコルによって小賢しく生きるニッポンが誕生した。つねにアメリカの顔色を伺い、また同国の利益を最優先しつつ。

昨今の日本人がユダヤ人の末裔であり、神の計画において秘められた役割があるとする一部のニッポンキリスト教徒たちの主張も、所詮はこの流れに対する精一杯のあがき的なアンチテーゼに過ぎないのだ。クリスチャンとしての真のアイデンティティを得ていない証拠。かくしてニッポンキリスト教はアメリカのヘンテコステの霊の流れと思惑持った韓国の霊の流れがぶつかり、せめぎあい、濁流となり、その渦に飲み込まれてしまっている。ここにも自立できない依存型の精神病理がある。

去勢されし国家また教界。原点に帰ることが処方箋なのだが・・・。

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  • 2009/03/22 00:13
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Luke

そうでしたか、私的には素晴らしいお名前と思います。好きですね、こう言う死に様は。

  • 2009/03/22 08:18
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