自己の病理の極み
- 2009/04/09 11:45
- Category: 意見
- Tag: ニッポンキリスト教 精神病理
秋田の幼児殺人事件については、このブログでも畠山鈴香の犯人の可能性を指摘し、果たしてそのとおりであったわけだが、前にも指摘したが、彼女は人格障害の典型的症状を見せている。彼女はカウンセラーに対して、「どうして人を殺していけないのか分からないで苦しんでいる」と手紙を書いている。今回無期懲役の判決が出たが、「無期だけは嫌だ。いつまでがまんすればいいのか分からないから」と主張して、上告した(→記事)。
この言葉に彼女の病理の本質が浮き彫りになっている。つまり彼女の世界観は自己がすべてなのだ。これが人格障害者や病者の住む世界。座標軸はすべて自己にある。かくして彼らの内的世界モデルはすべて自己を中核とし、価値観や判断・行動基準はすべて自己にある。しかもその自己像もかなり歪んでおり、したがって世界モデルも歪む。この歪みが彼らの言動の理解不可解性を理由である。
どうもこういった人物が増加傾向にあることを感じているが、特にニッポンキリスト教界には多いことは前から指摘しているとおり。こういった人物が跋扈するこの業界は、実質的にすでに崩壊しているが、その事実から目をそむけ、表向きだけ懸命に飾り立てようとするわけ。今後の混乱と狂気にあってクリスチャンの篩い分けはさらに進む。牧師たちの悪事を告発する風潮もますます強まっているが、実は告発する側も同じ要素を持つ。馬○と阿○の・・・とっとっと、やめておきます。とにかく関わり合いになる事自体を避けるべく、ニッポンキリスト教という箱からのエクソダスをひたすらお勧めする次第。
※彼女のような状態を「自然の自明性の喪失」と呼ぶが、キリスト教によってMCされると同じことが起きる。当たり前が当たり前でなくなるのだ。かくしてすべて演技と虚勢になるわけ。
細木
人間は誰でも心の持ち様で地下鉄サリン事件を起こした人達のような人間に変わる素地を持っています。それを無視して彼らを「きちがい」と表現したクリスチャン・メディアに抗議の電話をしたことがあります。受付の方は困惑していましたが。
「こっちはまとも」と信じきっているような人達ほど用心してしまいます。