Entry

トップ > 日記 > ナチュラルに

ナチュラルに

ファイル 816-1.jpgバカの壁』で有名な元東大医学部教授養老猛司先生は、都市は脳化の究極だ、と言われる。つまり都市とは脳内のプロトコル(約束事)のネットワークであって、そのプロトコルを共有することにより、秩序が生まれ社会が正常に機能する。この点、ビョウキの人はこれが共有されておらず、彼らの独自の脳内のプロコトルによって言動を展開するために、社会と齟齬を生じ、社会または自分が苦しむわけ。またカルトの思考にはまる人々も同じ。彼らは自分たちのプロトコルこそが"神の啓示"であり、自分たちは絶対的に神に忠実であるとして、その価値観が倒錯する。

かくして社会のプロコトルに従うにせよ、ビョウキのプロトコルに従うにせよ、結局人間は自作自演的に束縛されているのだ。今の学校教育は、この社会プロコトルを植え付け、それに対して飼い犬のように忠実なニンゲンを作り上げる。去勢されたニッポンではそれが成功しているわけだ。人はその一連の約束事の中で自己疎外を感じつつも、その感覚を抑圧しつつ、自分をひたすらそのフレームに従わせようと努める。こうして徐々に、しかし確実に磨耗していく。かくして自分を喪失した人々の群れが生まれる。

ファイル 816-2.jpg対して癒しとは、人が自分自身に戻ること。そのために一番いいのが、脳化社会から離れて自然に触れること。あらゆるプロトコルやフレームを外すこと。まあ、現代においては生の自然はないのかも知れないが、しかし緑に触れ、フィトンチッドを浴びるとき、私たちの体も魂もリフレッシュされ、活気づけられる。生きる実感を味わうことができる。・・・と言うわけで、緑が濃くなり、その美しさを楽しむ時期になりました。ファイル 816-3.jpgファイル 816-4.jpg

追記:ある意味ニッポンキリスト教も脳化の極地かもしれません。キリスト教の価値観、見かた、Dos&Dontsの約束事でがんじがらめなわけです。小さなことに感動し、自然に現れた神性を味わうことのできないほどに、ナチュラルさを失ってしまうことは悲劇です。

Comment

非公開

管理者にのみ公開されます。

  • 2009/04/19 17:19
  • Edit

通行人

Lukeさんの予言は驚くほど当たります。今度はホーリネス教団の牧師がひき逃げです。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20090418-484456.html

「福音シオン柏キリスト教会」の牧師のようです。
http://www.ne.jp/asahi/fukuinshion-kashiwa/welcome/index2.htm

Access: /Yesterday: /Today: