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モデルなき時代に

人間は狼に育てられると"狼"になってしまう。狼は人間が育てても狼のままなのだ。かくして人間が人になるためには、モデルが必要なのだ。昨今、教師も、政治屋も、経済人も、官僚も(※)、医師や学者も、言わずもがな牧師なども、若い連中が憧れる対象となり得ていない。つまりモデルなき時代。かろうじてスポーツ界が彼らの願望を投影し、その中にモデルを持ち得る世界と言える。

(※)厚労省の薬販売の省令の意図って何なのだ?薬剤師の家内も困惑しております。動機がどこにあるのか・・・。

かくして多くの若者はさ迷いの中にある。と言うより、すでにさ迷うことも、もがくことすらできないエネルギーの枯渇状態にある。飼い慣らされていると言うべきか。否、枯渇ではなく、あきらめによって一見表に現れないだけで、屈折した形で抑圧されていると言った方が正確か。だから事あれば、いじめや、有名人叩きやネットの煽りなどの屈折した形で発散される。そして何と今般教師を養成する京都教育大の学生が集団準強姦事件を起こした。いやはや。

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最近息子はチェ・ゲバラの映画を観たようだ。あまり思想とか政治などに関心もない彼だが、一言。「ゲバラはかっこいい、俺も革命に参加したい」と。おいおい、と思いつつ話を聞くと、元々デルトロのファンだったようだが、「ゲバラは単なるバカじゃないんだよな、歩きながら本を読んだり、医者で超インテリで、マスクも抜群にかっこいい。なのに大臣を辞めてコンゴやボリビヤに赴き、非業の死を選んだ。なんでだ」と言うわけだ。そしてうれしいことに「俺ももっと勉強するぞ」と。どうも彼もこう言った生き方と死に方に惹かれるものがあるようだ。

地上の人生で生死のモデルを持つことは実に幸いなのだ。私にも、道元、親鸞、沢庵、柳生但馬守、宮本武蔵、大石内蔵助、諸葛孔明、そして鈴木大拙・・・とその時々にモデルがいた。彼らにはあるひとつの共通項があり、もちろん彼らはある方の生と死の影に過ぎないのだ。実に信仰とは究極の生死のTHE・モデルを見出すことに他ならない。

Comment

武州乃鳩

モデルは大切ですね。「男らしい=キリストの似姿」という理解をするようになるまでは、「幼稚化」「女性化」した宗教の中で「イイ子」で生きていたように思います。

別件ですみません。以前メールを遅らせていただきましたが、届いておりますでしょうか

Luke

はい、リンクの件でしたでしょうか?それならば了承です。よろしくどうぞ。

  • 2009/06/02 11:42
  • Edit

飛鳥

「モデルなき時代」
だからDr.LUKEが学生の間でブレイクしているのでは?(^。^)
私の研究室の学生でも、「いろいろな先生に大学で出会ったけど、師匠と呼べるのはあの先生だけだ」と言ってましたよ。

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