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キリスト者がキリスト者に投票する?

と題する救世軍山谷少佐の論が冴えております。本質的には私が言うところの「愛のある人格高潔な、しかしメスの切れない外科医と、非情にして野心家、しかしメスの切れる財前五郎のどちらに切ってもらうか」という問題設定と同じである。が、山谷さんの神学的論考になりますと一挙に格調が高くなりますので、ご紹介してさせてもらいます(→http://majormak.blogspot.com/2009/07/blog-post_20.html)。

それゆえ、政治家に求められることは、それがキリスト者であろうがキリスト者でなかろうが、ただこの政治契約に示された「理念」を「実利」の世界に「実体化」する作業を黙々営々と行なう「技術」に習熟し長けていること「だけ」である。

すなわち、万人が人間としての尊厳を保たれ、秩序ある安寧な生活を送り、幸福の追求を妨げられないという、そのことを「実体化」する技術である。

つまり私の言うソーシャルエンジニアリングのテクの問題。はっきり言いますと、クリスチャンの日銀の速見総裁、クリスチャンの大平氏、クリスチャンの麻生氏、クリスチャンの石破氏、クリスチャンの・・・というお歴々を見てみれば、ニッポンキリスト教国家なるものが単なる幻想に過ぎないと分かるでしょう。VIPクラブあたりでは政党を作り、クリスチャン政治家を国会にどんどん送り込むらしいが、愚かなものだ。リバイバル音頭とか、日本民族総福音化などという幻想、否、妄想は早いところ捨て去るべきなのです。

イエスの御国とは現経綸ではどこにあるのでしょうか、この基本に戻りましょう、ネ!ニッポンキリスト教のよい子のみなさん。

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