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心理的慣性-信仰VS.大脳辺縁系-

夏休みに入っても、朝、目を覚ます時、つい「さーて、今日も仕事か・・・」と考える癖がまだ続いています。で、「あ、もう休みだった」とホッとするわけ。これは心理的な慣性であり、大脳辺縁系がなせる業です。そして朝の日差しの中、ラジオ体操とジョッギング4キロほどでたっぷり汗を流し、熱いシャワーとストレッチ。朝食はプロテインパウダーをミルクに溶かし、VCとクエン酸を加えてシェークしたDr.Lukeスペシャル+ビタミンコンプレックス。これでシャキっと朝の豊かな時間を楽しむわけです。

かつてリンカーンが奴隷解放宣言をした瞬間、アメリカの奴隷はすべて消滅しました(完了形)。法的に、客観的には。しかしそれまで奴隷であった人々は、その事実を知らないため、あるいは知ったとしても信じないため、依然として過酷な主人を恐れ、自分は単なる奴隷と思い込んでいるのです。その思い込みに従って彼らは行動し、その結果を自らに招きます。自分たちの新しいアイデンティティ(=自由人)や、新しく所有した権利を主張することもできません。心がそれまでの経験によって萎えているからです。過酷な主人もできるだけ彼らを騙して、そのまま自分の手元に置こうとするでしょう。ここに彼らの客観的立場と主観的経験のズレが生じるわけです。

私たちがメッセージで語ることは、子があなたがたを自由にするのであれば、あなたがたはまことに自由な者となる、と主イエスが言われた、と告げるだけです。後は聞く側の問題。

信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

よく言われますが、馬を水辺までは連れて来れるが、実際に水を飲ますことはできないと。それは馬自身の決断に任されるのです。クルシチャン化の原因は-

 ・思い(mind)に種々のフィルターがかかっており、そのままに言葉を聴くことができない(認知の歪み)。
 ・聞いたことをそのままに信じていない。

のです。すでに私たちは客観的事実として、過酷な奴隷状態から解放されて、神の夏休みに入っているのです!では、その夏休みをあなたはどう過ごしますか?-これがクリスチャン生活のすべてです。そして富んでいる者はますます、なのです。

神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン(そのとおり)」と唱えます。

信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。

十字架はこの旧い私と新しい私の交換の場であり、そこで旧い価値観・生き方のパタンが新しい価値観・生き方のパタンへと置き換わるのです(再条件付け)。まことの十字架って、素晴らしいと思いませんか?

Comment

幼くして創造者を知るのは「恵み」ですが...。

いわゆる「日曜学校」では、宗教のフィルターを掛けられて教えられるので、歪んだ見方が自然になってしまいます。

イエスの時代のユダヤ人みたいなモノですかね。

  • 2009/07/30 14:13
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Luke

そうですね、子供にはこの世をサバイバルする力と術を獲得させる必要があります。私の持論と言うより、聖書では、神に用いられる人物はみなエジプト(この世)で鍛えられています。カナンの地(宗教)には親の資産を食い潰す愚かな兄たちが残っていたのです。

  • 2009/07/30 18:16
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