Dr.Lukeの一言映画評
- 2012/02/25 17:34
- Category: 映画
- Tag: 終末 オカルト NWO
リチャード・ギアの『顔のないスパイ』。リチャード・ギアとマーチン・シーンが実に渋い。私の目標だ。
ワシントンで起きた上院議員殺害事件。その手口から捜査線上に浮上したのは、すでに死んだと思われていたソビエト伝説のスパイ“カシウス”だった。犯人はカシウスなのか?そして、彼は生きていたのか?事件の真相を解明するため、CIAは、一度は引退した冷戦時代の元諜報員ポールと、仕事への情熱に溢れる若きFBI捜査官ギアリーでチームを組んで捜査にあたらせる。捜査が進むにつれ、明らかになるカシウスの正体。だがそこに浮かび上がったのは、まさにチームのリーダー、ポール本人の姿だった…。
誰が味方で、誰が敵か。まことに現代的なモチーフ。世は偽りのマトリクスなのだ。目で見えるものに欺かれることなかれ(2Cor 4:18)。物事には裏の裏のまた裏があるわけだ。"カシアス"を追うカシアス。ドッペルゲンガー現象のごとく、"自分"を追うFBI捜査官。が、事の真相は二重にひっくり返される。真実の在処は・・・?
ちなみにHal Lindseyがハリウッドのロジックについて論じている。加えて、先に紹介したニューズウイーク誌のクリスチャンに対する迫害の記事についても触れている。
さらに、今年のグラミー賞のイベントの光景を見て欲しい。まさに悪魔礼拝の儀式だ。ホイットニー・ヒューストンの死の疑惑も。いずれNWOへとつながる。
まことの真実は、真理は、ただ御言葉にある。クリスチャンは御言葉を語る者であり、御言葉は決して鎖に繋がれることはなく、ますます増え広がるのだ(Acts 12:24)。対する空中の権をもつあの者は御言葉が語られることをもっとも恐れるのだ。敵はあらゆる欺瞞的思弁により御言葉を人の言葉に貶めようとしている。しかしその不毛な試み自体が、実は自分の良心が御言葉の権威を認めている証左なのだ(苦笑)。「神がいなかったら無神論者もいなかったであろう」と誰かが言ったそうだが、まことに同じだ。今こそ、自らの口を開いて語れ、兄弟姉妹たち。
ICHIRO
あれれ、何だかマイケルジャクソン風の洒落たBGMが、、、これってワーシップですか?