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日々キリストのうちに


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ニール・アンダーソンによる黙想


 同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。-2ペテロ2:1

 偽預言者とか偽教師といった言葉を聞くときに、あなたはまず何を思い起こすでしょうか?多くの人達は、東洋の神秘主義者やグル、あるいは非聖書的な教えを説く者や力溢れるカルト指導者などを想起する傾向があります。彼らはあくまでもクリスチャン教会の外にいると考えるのです。しかし使徒パウロは、彼の書簡のひとつの章(第二ペテロ2章)全体を、教会のうちで活動する偽預言者や偽教師について費やしています。偽預言者は私たちの教会うちにおいて義の働き人を装うのです。
 偽預言者の罠は第一にその教義にあるのではないことに注意してください:「そして、多くの者が彼らの官能にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです」(2節)。ペテロが言う「彼らの官能にならい」とは何を意味するのでしょう?それは指導者の外見や魅力に基づいてそのミニストリーを評価するクリスチャンを言うのです。私たちはよく言います、「彼はなんていいやつだ」とか、「彼女はとてもカリスマ的な人物だ」とか、「彼はダイナミックな語り手だ」とか、「彼女はきわめて甘くて真実味に溢れる人だ」とか。しかし、肉体的魅力や甘いシロップのような性質は、その働き人や教師の聖書的資質を判断する基準なのでしょうか?もちろん、違います!問題はつねに真理と義にあります。クリスチャンの指導者たる者は、真理に対する明け渡し、義なる生活、そして僕としての心によって定義されるべきものです。

 親愛なる神よ、地的生活を弄ぶことから守ってください。ただあなたのために生きることを願います。私を真理と義と愛に基づく存在とし、あなたの御名を貶めることのないようにしてください。

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