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思い(mind)のパワー

主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。-Gen 11:6

私たちの思い、マインドのパワーはこのバベルの塔の逸話において神が証言している。彼らが「思うこと」はとどめることができないと。だから言葉をバラバラにした。実際、かつての手塚治虫が空想未来漫画で思い描いたモノは、今日、ほとんど実現している。鉄碗アトムの実現も間近であろう。

ところが、いわゆる十字架教徒の人々はしばしば自己疎外に陥っている。いわく、自我を否んで、自己を十字架につけてぇ~と。彼らは、よって、自分のマインドに浮かぶ事柄を恐れるようになる。自分が思うことは肉か、霊か、といつもビクビクするのだ。しかしパウロはこう励ましてくれている。

どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に-Eph 3:20

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。-Phil 4:6

私たちはすでにニュークリエーションとされている!この事実がパウロにとっては確固たるものであったから、ここまで大胆に勧めることができるのだ。主ご自身も

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。-John 15:7

と約束された。ところがこれを素直になかなか受け取れない人がいるのだ。彼らは言う、「何でもの前に条件がついている!]と。すると祈るとき、はたして自分は主の中にとどまり、御言葉がうちにとどまっているのか・・・と自分を見つめる罠に落ちる。かくして祈りに喜びがなくなるのだ。実はこのマインド・セットそのものが肉のもの。肉の思いは神に敵対する。霊の思いはいのちと平安、そして喜びなのだ。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。-John 15:11

祈りは私たちのマインドと共に進む。マインドは霊と魂の接点だからだ。

すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。-1Cor 14:15

マインドがこれらの御言葉に応答しつつ祈るならば、祈れば祈るほど喜びと力が満ちてくる。神の御心に触れていることが分かる。しかし自分を見つめつつ、自分が条件を満たしているかとか考えるならば、たちまち祈りは消える。十字架教徒になってはならない。なぜなら、私たちはすでに十字架において死に、すでに復活した存在。キリストのうちに置かれたニュークリエーションだからだ。それは完了している!これが霊の思いだ。自分の内面をみて、あれこれほじっても何も出ない。これは私の著書でも強調したところ。

自分がニュークリエーションであるところに立って、大胆に何でも求める。主とわたしの喜びが満たされるために。私も今、大きなサブスタンスにチャレンジているところだ。

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