受験は一回性の美学だ!
- 2009/03/23 18:46
- Category: 意見
今年の東大合格者に異変が。開成がなんと-53名。対して地方の公立高校が伸びているようだ。いわゆる学区制化で都立高校が地盤沈下し、「ゆとり教育」でMCされた地方の有力公立校も落ちぶれ、一部の私立中高一貫に集中していた様は、あたかも大駐車上完備の郊外のショッピングセンターに客が集中し、旧市街はシャッター通りと化している現状と同じ。かくして教育費のため、これまで東大に入るには親の年収が1,000万以上が条件だったが、これからは東大自身も年収400万未満家庭には学費免除もするそうだから、可能性が広がることになる。
私は受験地獄をくぐることは人間の成長にとって必須と考えている。今のニッポン、徴兵制もなく、自由や人権の美名の下、若者が放縦に陥っているのだ。彼らがチャレンジできるものが何もない国の将来は知れている。入試さえクリアすれば、どんな貧乏人も東大や医学部に入れる。仮にそれまでの内申書が悪くとも、前科があったとしても、東大など上位校はあまり関係ない。受験で勝負。私はこれを「受験は一回性の美学だ」と言っている。あたかも十字架でこれまでのすべてを書き換えることができるのと同じ。
ニッポンが立ち直るためには、私も前々から指摘している通り、また先の大前健一氏の指摘のとおり、ニートだのフリーターだのに働いていただくために300億も税金を使うのではなく、優位の20%のエリートを厚く遇することだ。2対8のパレートの法則はここでも生きている。そしてそのチャンスを広く開いておくことだ。負け犬社会にしてはならない。若者に、アメリカンドリームならぬ、ジャパン・ドリームを与えねば、ニッポンは確実に衰退する。そのひとつのルートが受験である。熱力学的にもエネルギーの出入りがなくなって平衡状態に達した系は「死」を迎える。社会経済的には共産主義はまさに平衡状態。ニッポンも悪平等と言う不平等を打破しないと、確実に「死」ぬ。