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神学スルメ論

解剖学者で『バカの壁』の著者養老猛司先生は「解剖学はスルメを腑分けして生命をとらえようとするもの」と喝破しています。サイエンティストは自分がしていることの意味と限界を相対化して認識しているのですね。

同様に神学もスルメですね(神学者のみなさま、相対化を御霊による忍耐にあってお願いします・・・)。キリストと言う生けるお方、神の実質に溢れた方、いのちそのものなる方、ダイナミックに今ここに躍動される方を、人間の論理・言語と言う平面上に投影したものが神学。そこにはすでにいのちはなく、しかもその平面状でケンケンガクガク、人は神になるか否か、いやアタナシウスはこう言った、本質的にナンセンスなカルヴァンとアルミニウスの論争、ラッシュドゥーニーはああ言ってるからモーセ律法を復活して石打刑を行え・・・。しかもこのスルメ同士の間には高いバカの壁がそびえています。

自分の神学を相対化し得ず、その中にどっぷりと飲み込まれている神学者たち。かくしてかつては処刑までもし合ったわけだが・・・。まあ、ある意味神学は人間の愚かさの結晶とも言えるわけです。しかもその愚かさに気がついていない愚かさ・・・。さらには世の中で自活もできず、Isaiahさんの言う献金パラサイト。と言うわけでDr.Lukeの『神学スルメ論』。zionさまもそろそろ食傷気味のご様子。このあたりでお開きとしましょう。各種のスルメ標本も十分採取できましたし、今後「2ちゃん」関係のコピペがあった場合はすべて削除とします。

なお、このようなスルメに囲まれて、その臭いの環境の中で、干からびて、カラカラになってしまった同胞の皆さまには、可及的速やかにこのニッポンキリスト教なるスルメの標本室からエクソダスされることをお勧めします。あの先生、この牧師、この教団、あの同盟、何とか神学、何とか神学者・・・こういった標本室の中に囚われないように。

・子があなたがたを自由にしたのだから、あなたがたはまことに自由な者となる。
・あなたがたは自由を得るために召されたのだから、ニ度と奴隷のくびきを負わされてはならない。

自由を得る鍵はキリストにとらえられることです。その御霊にある自由の中で、新鮮な生けるいのちなるキリストをひたすら求めましょう。この意味で私たちは霊的グルメになるべきなのですね。・・・あ、でもスルメで十分なこのギョウカイに留まりたいお人には無理にとは申しません。

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