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肉体性の回復

本日はGYMのプールで千メートルほどこなし、スパでまったりと。この寒空に露天のスパが実に気持ちイイのだ。体を温めて、冷たい風に当たるとこれがなんともいえないカイカン。これを何度か繰り返すのがサイコウの気持ち良さを産む。ここ、週に何度でもいけることは実にありがたい。

最近、シリコン回路(ICチップ)の中に人間の精神を移植する研究がマジでなされている。つまり精神活動がニューロンネットワークの電流とシナプスにおける化学伝達物質の反応によるのであれば、それをシリコン回路の中で再現すれば、私そのものがシリコン回路の中に永遠に生きることができるというドグマに基づいている。これはいわゆる養老猛司氏の「唯脳論」の立場、あるいは一元論の立場である。今、ア・プリオリにこれを認めたとして、テク的にもそれが可能だとして、あなたはそのシリコン回路の中で生存し続けることを願うだろうか?もちろん意識としてのみであり、肉体は有しないあり方となる。脱肉体化した意識としてだ。

先の再建主義批判でも触れたが、私たちの現在の肉体は確実に滅びる。私たちの希望はその死を経ても霊のいのちは永遠であり、しかも霊の体を与えられることにある。天使たちは私たちのような肉体を有してはいない。私たちはこの体から解放された後、イエスが復活後にまとっていた肉体と同じ肉体を得るのだ!それはクセもあるし、魚を食べることもできる(Luke 24:39-43)。つまり来るべき御国においても私たちはふわふわと漂う霊ではなく、実体としての肉体を有するのだ。言いたいことは何か。つまり、今のこの肉体を鍛え、栄養や睡眠を管理し、健やかな状態をメンテすることは、来るべき時代において管理することのひとつの準備でもあるのだ。主は、小さなことに忠実な者は大きなことを任せられると言われた(Matt 25:21)。カネもしかり、肉体もしかり、時間もしかり、自分の資産もしかり、家庭もしかり、仕事もしかり・・・、要するに今の経綸は次の経綸への準備と訓練の時代なのだ。

一応、誤解なきように言っておくが、私はいわゆる「正しく・きよく・貧しく」的キリスト教価値観には嫌悪を覚える。カネはたくさんあった方がいいのだ。その人の資質と能力に応じてカネは分配される。大いに格差があるべきなのだ。世の中は「かごに乗る人・担ぐ人・そのまたワラジを作る人・さらにそのまたワラを拾う人」からなるのだ。能力のある者、努力した者は大いに恩恵に与るべきであり、いわゆる結果平等などはあり得ない。さらにたっぷりとカネを得る秘訣は単純だ。まずは与えること。神の国の法則は"GIVE TO GET"であり、世の法則は"GET TO GET"だ。先にも紹介したが、学生たちに、プレミアな人生を送れ、と激を飛ばしている。30歳で最低一千万は稼げと。今の時代、自己保有の住居を得て、子供たちに最高の教育を与え、なお遊びにもカネを惜しまず使えるくらいのそこそこの生活を送るには最低一千万は必要だ。

これらの人間としてのアクテビティにおいて大きなファクターは肉体なのだ。パウロも言っている、肉体の鍛錬は多少の益があると。味覚、臭覚、視覚、聴覚、触覚、そして第六感と*1。神が備えてくださったこれらの感覚によって私たちは楽しみを得る。考えてみよ、なぜ新鮮な刺身は旨いのか、大吟醸酒は美味なのか、自然の光は美しいのか、肌をなでる風は気持ちいいのか、音楽も不協和性と協和性があるのか。神が備えて下さったからであろう。エデンの園で神はなんと言われたか、すべての木からとって思いのままに食べてよい、ただし善悪の木はダメと。アダムとエバは蛇によりその一本の木に注意を向けられた。なぜ他のすべての木を楽しまなかったのだろう。もしそれらを思いのままに楽しんでいれば、蛇の言葉に乗せられることはなかったであろう。かくして善悪を知った人類は宗教を誕生させた。御言葉をすら宗教の道具として用いるのだ。自分が今キリスト教なる宗教に束縛されているか、それともイエスが再度開いてくださったいのちを楽しんでいるか、それは私たちの心が知っている。霊・魂・体のあらゆる領域が健やかであること。これがハッピーの源泉なのだ。

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。-3John 1:2

いつもどおり-

アー・ユー・ハッピー?

*1:クリスチャンはさらに霊の感覚を有している。その楽しみはまた別に。

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