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神をブロマイド化する罠

クリスチャンの間でよく行われる証。これがしばしば罠になる。いわく、神はこれこれの方で、私があれこれの時にこうしてくださった。このテーマはこうこうで、これこれだ・・・。こうして神を2D化してしまうのだ。

かつてここで紹介したウォッチマン・ニーの黙想にもあったが、救いの時、これこれの御言葉であれこれの経験をした、云々。これが罠になると。ただ一回性の神と御言葉との邂逅を写真のように現像して焼き付けてしまうのだ。そして他者はその印画紙の像を見て、神を知ったツモリになる。ちょうどアイドルのブロマイドのようなものだ。

私がニーを評価している理由は、人間の成り立ちや霊と魂の関わりなど、ちょうど霊的な解剖学や生理学を提示しているだけだから。その後は自分で経験せよ、と。彼が経験した神を人に提示することはほとんどない。まして後半の20年は幽閉されており、いかなる神との関係を得ていたかはまったく不明。神と彼の間のみで共有されているだけ。

この意味で私は御言葉の解き明かしとか霊的意味の解説などに対しては、最近は特に懐疑的になっているのだ。それはブロマイドを人に売るようなもの。その人がブロマイドを見て、本人を知ったツモリになる罠があるのだ。もちろん、われわれは限られているから、個人で神のすべてを知ることはできない。が、神がどのような方であるか、それを味わい、経験するのは、あくまでも個人の問題である。私たちは神の前の単独者であるべきだ。

自分が知っている神はブロマイドのそれか、直接のそれか。絶えず自問自答する必要があろう。ブロマイドを100枚持つよりも、神の目をひと目でも直接見ることの方が重大なのだ。神は私に対してこの物理的時空間に直接に介入されるお方。それ自体がスーパーナチュラルな現象なのだ。

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