邦語訳聖書の罠に注意!

私は何度も繰り返している、日本語マトリックスで真理を理解してはならないと。Dr.Kさんがギリシャ語レベルでガラテヤ2:16(Gal 2:16)について指摘されている。ぜひ、お読みください。


ガラテア2章16節における日本語訳について一言。
余りにひどいので正確に見ておきたい聖句の一つだ。


律法の働きは人を義とはしない
イエスキリストの信仰が人を義とする
イエスキリストにあって
それを我々は確かに信じた
だから救われた
律法の働きは肉を義としない
義とされるにはイエスキリストの信仰が必要だ

解説:Dr.Kさんが指摘されるこの新改訳の問題点がピンとこない人は、すでに何気にニッポンキリスト教のマトリックスにはまっています。はっきり言って、とんでもない誤訳。

新改訳で刷り込まれるマインドは、つねに【自分が】何をするか、【自分が】どうか、と【自分に】フォーカスが置かれるように誘導されるのです。自分が律法を行うか、自分がジーザスを信じるか、と。分かります?

パウロが言いたいのは、私が行うとか・信じるとかではない!ということ。フェイスも私がジーザス【を】信じるのではないのです。つまりギリシャ語の対格ではなく、属格。律法【の】働きは私を救わないが、ジーザス【の】フェイスが私を救うのです。これはガラテヤ2章20節も同じ。

この自分、セルフに注意が置かれるのがニッポンキリスト教の罠で最も深刻なものです。新改訳は福音派では定評があるらしいですが、前にペンテコステ派の『ファイアバイブル』がどうのこうので指摘しましたが、何気にかなりバイアス(偏向)しています。いかにもニッポンキリスト教らしく。そんな色物ではなく、KJVで十分でしょう。再度、ビ・アウェア!!!

追記:さっそく「細かいことで揚げ足を取るな」的な抗議のメールをいただきました。ヤレヤレ。まあ、どこぞの牧師先生でしょうが(福音派?)、プライドが疼いて制御できなくなるんでしょう。せめて、誤訳は誤訳として認めてくださいな。って、無理か・・・この業界では。リバ新の記事もえらい剣幕で編集部に抗議や不買運動が起きちゃったわけで。(*´Д`*)

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