サイエンスがようやく認める祈りのパワー

この記事、クリップしておこう-

ヘブル11章1節のフェイスの定義には定冠詞がない。つまりそれは視力や聴力と同じ普遍的な能力を言う。

今や、フェイスとは願う事柄のサブスタンス(権利証・土台)であり、見えない事柄を立証(確認・証明)することである。(私訳)-Heb 11:1

「信仰」と日本語で考えてはならない[1] … Continue reading。日本語のマトリックスにハマることなかれ。フェイス、ピスティス。祈りとはスーパーナチュラルにアクセスするための ツール。その祈りは、ヘブル語では”palal”、原義は”to judge”、つまり「裁定すること」だ。祈りは裁定、つまり、永遠の今の領域のサブスタンスを見極めることなのだ。

私たちのアクティベーションされた霊は永遠の今の霊的領域にポータルとして開かれている。神の国が私たちの内側から外側へと流れ出る、いわばホワイトホー ルなのだ。その領域は時間と空間を越える。だから二千年前の事実が今の私のリアリティーとなる。十字架の事実は今、ここにおける霊的サブスタンス、それは 信の祈りによってリアリティーとされる。

フェイスは時空間を超える。祈りはフェイスをアクティベーションする。そのためにはマインドのメタモルフォーシス(トランスフォーメーション)が必要。私 たちはすでにキリストのマインドを持っている。古いマインドを自ら放棄すること、自分の意見とか考えや思想や信条とかを捨てること。それは霊を解放するこ と。祈りとは永遠のNOWにタッチすることである。

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1 『詳訳聖書』においても次のように指摘されている:一例をあげてみよう。・・・「信じる」とは何を意味するのか。これは非常に重要な問題である。・・・しかし、このbelieve(信じる)という言葉は、昔、原語の正確な意味を伝えた時代があったかもしれないが、その役を果たさなくなってからすでに長い年数がたっている。・・・ただ一つの小さな誤解された概念として、問題にするに足りないように見えるかもしれないが、そのようなあいまいさが数十、数百になると、ただではすまされないほど重大な事になり、信仰と不信仰の差をも生み出す結果となる。

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