ジーザスは教職制度を憎みまた戦う

黙示録2-3章の7つの教会は当時の断面的状態でもあるが、時系列的な教会歴史を予言している。

すでにエペソ(好ましいの意味)の教会では最初の愛から落ち、ニコライ派の「行い」が入った。それは「ニカオ(=支配)+ラオス(民衆)」からなるが、要するに教職制度だ。

スミルナ(苦難)の教会を経て、ペルガモ(融合・結婚)の教会では世との融合がなされ、サタンの座が据えられ、ニコライ派の「教え」として確立した。歴史を見れば明らかだよね。

あのね、マジで言うが、牧師を自称することはニコライ派に従うことだ。ジーザスはそれを憎んでいるし、さらにはそれと戦うとまで言われるのだ。ニッポンキ業界の牧師を自称する者たち、あなたはジーザスを敵にまわしているのだと、よくよく心せよ!今のままでリバイバルなど言わずもがなであろう。

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