世界は言語マトリックスだ

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3

あなたがたは、キリストと共に死んで、世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、なぜ、まだ世に属しているかのように生き・・・Col 2:20

われわれがリアリティーと思っている事は実は諸霊によるマニュピレーションの結果だ。その最たる例が進化論であろう。人体の構造を少しでも知っていれば、こんなものが偶然の累積でできたなどと誰も考えまい。あのiPS細胞の山中教授もDNAが自然にできたとは思えないとの旨を語っている。そこで欧米ではID理論が出ているわけ。スーパーヒューマンな存在が知的にデザインしたと。その存在のアイデンティティーについては語らない。

われわれが生まれてこの方経験したことによりオツムの中に自然と世界のモデルができている。これはブリーフシステムとかマインドセットといわれるが、信仰にとってはもっとも障害となる。一度これが壊される必要があるのだ。だから主は言われた、自分の魂を否めと(Luke 9:23)。神は明らかに善悪を知る知識の木の実を食べた人間の知性にチャレンジしておられるのだ。一方では一般啓示により、自然界のミステリーを提示しつつ、一方ではイエスによる特別啓示により、きわめて幼稚に見える事象を通して。

私はサイエンティストの端くれとして、このふたつのギャップに戸惑った。どうしてあの物理学のような高級な数学を用いて記述されるような自然界を造られた方が、一方では魚の口から銀を取り出したり、いちじくの木を呪ったりするのだろうか、と。もしイエスがヒルベルト空間における作用素の固有値問題としての量子力学やリーマン幾何学による一般相対性理論を講義してくれたら、私はもっと容易にイエスが神であることを納得したと思う。あるいはDNAの構造を解説してくれるとか・・・。

現代物理学の最先端では世界は11次元の膜構造から成り、その基本は超弦の振動であるとする。私たちが五感で感知できるのは4次元までだから、他の7次元は隠れているわけ。さらにパラレル宇宙の存在も予言されている。そもそも自然界が何ゆえに数学で記述することができるのかが不思議である。もっと言えば、微分積分も元は四則に過ぎない。最近私はこれが分からなくなってきた。掛け算や割り算っていったい何なの?たとえばニュートンの運動方程式

加速度と質量を掛けると力って??? 確かにこれを

と書けば、<力積の変化分=運動量の変化分>と解釈はできる。では力積や運動量ってそもそも何??? もっと言えば、質量って何??? こうしてますますわからなくなってしまうのだ。確かに東大の入試問題は解けるが、それは単に記号を操作しただけ。シンタックスの世界であって、セマンティクスではない。つまり形式的に数式をいじったのみで、根本的な概念はまったくわからないのだ。質量はヒッグス粒子が生み出すと一応の解決はできたが、その粒子を生み出す場があるわけで、場って何? となるわけ。なぜ真空は場を有するわけ? 私たちの五感では感知できない物理的サブスタンスが存在しているのだ。これで無限後退性のわなに落ちる。

・・・かくして、物理学では現象を数学で記述することはできる。それにより予測と制御は可能になるが、なぜそうなっているのかは説明できない。よくサイエンスは「いかに(HOW)」に答えるのみで「なぜ(WHY)」には答えられないと言うが、そのとおりだ。あのホーキングも世界が数学で記述できる理由は答えられない。ここでどこかでとめる必要があるわけ。それがID (Intelligent Design) 理論のサムシング・グレイトだ。聖書はこの存在が受肉された神であるとする。ここから逆算するとき、世は神のレーマでフレーム化されたと知る。それは信仰によって。信仰ははっきりという、シックスセンスである。五感を超えたセンス。霊的センスだ。神が世界と大脳をそのように造られたから世界は数学で記述できる。ピリオド。

現代物理学では四つの力を統一する究極の方程式を探している。しかし力ってそもそもわからない。いつも思うが磁石をいじっていると、その力をリアルに感じることができる。空間には何もないのに(五感では感知できないのに)、明らかに引っ張ったり、反発したり。弾力性を感じるのだ。何かがある。物理学は見えない世界を記述し、制御する。が、われわれの五感で構成された内的な世界モデルあるいはブリーフシステムなどは世界のほんの一部に過ぎない。あなた、また私の知らない広大な世界が広がっているのだ。そのマトリックスの法則をつかみ、制御できれば、死人が生き返る[1] … Continue reading。イエスはそれを知っていた。そして

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。-John 14:12

もちろんそれは信仰の法則だ(Rom 3:27)。が、使い方に習熟する必要があるのだ。

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1  最近のVRなどは映像や音として、さらに振動や匂いなども感じることができる。つまり五感に訴えてヴァーチャルなリアリティーを経験できる。その本質は、デジタルな0と1のシーケンス。それがサブスタンス。現れた映像や音などをいじるのではなく、この0と1の並びを変えると経験するモノが変化するのだ。

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