喜びとかなう祈りの関係

世のマトリックスは<祈りがかなう⇒喜べる>だ。これは罠。いつまで待つのですかぁ~とか、あるいは信じて祈ったのにかなえられない~とか、クルシチャン症候群に陥る。

霊的法則は<主を喜ぶ⇒祈りがかなう>だ。すでに喜びがあるのだから、いつまで待つのだぁ~とニッポンキリスト教徒が好きな忍耐をする必要がない。聖霊による内なる喜びにより、もうすでに得ていることが分かっている。順序が逆なのだ。

かくして祈りの答えを得るならば、ますます喜びが拡大し、祈りもますますかなうようになる。祈りと喜びの拡大再生産のポジティブ・サイクルに入るのだ。

わたしの名にあって[1] … Continue reading願うことは、何でもかなえてあげよう。-John 14:13

☞100%かなう祈りの秘訣@vimeo

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1 よく、「イエス様のお名前によって祈ります」と祈りの締めくくりをするが、イエスの名に「よって」は誤訳。「あって」だ。「よって」は名前を道具としている。主体はそれを使う「私」にある。「あって」はジーザスの中で祈ること。霊においてひとつ。私の願いは主の願い、主の願いは私の願いとなる経験だ。日本語マトリックスの罠に注意せよ!

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