喜びとかなう祈りの関係
2017-12-08
世のマトリックスは<祈りがかなう⇒喜べる>だ。これは罠。いつまで待つのですかぁ~とか、あるいは信じて祈ったのにかなえられない~とか、クルシチャン症候群に陥る。
霊的法則は<主を喜ぶ⇒祈りがかなう>だ。すでに喜びがあるのだから、いつまで待つのだぁ~とニッポンキリスト教徒が好きな忍耐をする必要がない。聖霊による内なる喜びにより、もうすでに得ていることが分かっている。順序が逆なのだ。
かくして祈りの答えを得るならば、ますます喜びが拡大し、祈りもますますかなうようになる。祈りと喜びの拡大再生産のポジティブ・サイクルに入るのだ。
わたしの名にあって[1] … Continue reading願うことは、何でもかなえてあげよう。-John 14:13
☞100%かなう祈りの秘訣@vimeo
References
↑1 | よく、「イエス様のお名前によって祈ります」と祈りの締めくくりをするが、イエスの名に「よって」は誤訳。「あって」だ。「よって」は名前を道具としている。主体はそれを使う「私」にある。「あって」はジーザスの中で祈ること。霊においてひとつ。私の願いは主の願い、主の願いは私の願いとなる経験だ。日本語マトリックスの罠に注意せよ! |
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