生み出された子として神をエミュレートする=エペソ5章1節=

私たちはエロヒムだと語っている[1] … Continue reading。多分にキリスト教神学のオツムにとっては挑発的だろうと思う。このメッセを聞いて、私の言質を取ったとし、批判や非難、さらに中傷を始めるむきもあろうと思う[2] … Continue reading。が、私は聖書の言葉をそのまま語っているだけだ。今更ながらニッポンキリスト教を相手にするつもりはないが、心ある人々のために一言。

そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々(エロヒム)である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々(エロヒム)』と言われている[3]原語では「エロヒム」である。。そして、聖書が廃れることはありえない。・・・」-John 10:34-35

神に愛される子として神をエミュレートする者となりなさい。-Eph 5:1

私にとって、生きるとはキリストであり・・・。-Phil 1:21

エクレシアはキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の充満です[4]満たしている「場所・ところ」ではない。充満(プレローマ)である。岩波訳では「この方」はキリストを指しているとしている。。-Eph 1:21

See? 私たちはキリストのいのちの霊を吹き込まれた新しい創造、新生命体、ニュークリーチャー。それはキリストの充満であるエクレシア。よく読んでほしい<エクレシア=キリストの充満>。<エクレシア=召し出された者たち(われわれ)>。ならば、<われわれ=キリストの充満>。われわれとは誰か? キリストの充満である![5]キリストがわれわれの中で生きられ、われわれを通して生かし出されるのだ。これがエミュレーションである。 キリストとは誰か? 神であり人であるお方。

エペソ5:1もよく「神に倣う者となれ」と訳される。神をマネする? できるわけなかろう! それはサルがニンゲンのマネをするようなもの、いのちのレベルが異なるのだ。キリスト教徒が神のマネをする。これこそ滑稽であろう。この単語は”mimétés”、語源は”mimeomai”。その意味は”imitate”あるいは”emulate”。ここでは前者よりも後者がよい。神をエミュレートせよ、と言うわけ。

この節の「子として」についてStrongは次のように指摘する:

a child (as produced): – child, daughter, son.

つまり生み出された子である。

御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-James 1:18

イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。-1John 5:1

神はアダム系の私たちをキリストと共に終わらせ、復活させた。聖霊によるいのちを吹き込まれた。私たちの霊は神から生まれた神属(エロヒム)の霊。

神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。-1John 4:13

それは罪を決して犯さない。かくして私たちは新創造とされた(☞エロヒム属の誕生)。はあ? 自分は自分で何も変わっていないですが・・・。こう言う人は騙されている、自分の感覚によって。感覚ではなく御言葉に書いてあることが真理。

メッセでも語ったが、これはちょうど、Windows用のPCにおいてMacのiOSを走らせるようなもの。これをエミュレーション(Emulation)と言う。ハードウエアはWindowsだが、中身はMac。まさにWindowsマシンがMacを体現している。これと同じことが私たちにおいて起きているのだ。

われわれのボディと魂(Soul)はアダム系にあって生まれた。その存在に神は聖霊にあるキリストの復活のいのちを吹き込まれ、私たちの中でキリストが生きる(Gal 2:20)。つまりキリストをエミュレートするのだ。そのキリストのうちには父が生きており、ジーザスは人であったが、父なる神の言葉を語り、父なる神のわざをなされた。ジーザスご自身が父なる神をエミュレートしたのだ。ゆえに、わたしを見た者は父を見たと宣言された。

神が肉において現出されること―これが「Godlinessの奥義(1Tim 3:16)」。ジーザスはそれをデモンストレーションされた。同じことが私たちにもできると言われる。

わたしを信じる者はわたしと同じわざをなし、それよりも大いなるわざをする。わたしが父の元に行くからである。-John 14:2

神は人間性において表現される。なぜ? 人は神の形に創造されたゆえに。人はその実質として内に神を生かす、あるいは神をインストールされるべき存在。そして人間性において神がエミュレーションされるのだ。もっと言えば、ジーザスは父のコピー、エクレシアはジーザスのコピーである。こうして神は人間性において自己増殖されるのだ。

言ってみれば、世の者ではないジーザスがわれわれのうちにインプラントされ、われわれも世の者ではない存在とされた。すなわちエイリアンとしてこの地球上において自己増殖する。こうしてサタンが不法占拠しているこの地上において神の国を増殖、繁栄させるのだ。しかもこうある:

神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていたのです。-Heb 4:3

ここも天地の基が置かれたとき、それはすなわち受胎したときであり、その時にすべては完成していた。これが時空間の時系列に現出しているだけ。その完成されたみわざに休むこと。これがフェイスである。罪の赦し、病の癒し、必要の満たし、そして勝利など、すべては安息にある。だから安息の神をエミュレートせよと奨められているのだ。

ジーザスはこのミケランジェロの絵の指先のギャップを埋めてくれたのだ!

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1 ここで重要なのはエロヒムの定義である。これを「神々」と訳すのが罠となる。エルの複数形であるが、これを白いキリスト教は創造主なるYHWHと同一視してきた。が、Dr.Heiserが指摘したように、エロヒムはその他にもいくらでも存在する。それは霊的生命体の総称と言うべきである。もちろんそれを創造したのは最も高きエロヒムであるYHWH。この存在がキリスト教神学で言う三位一体のいわゆる神である。
2 この啓示はサタンがもっとも隠しておきたいこと。だから彼は聖書をしてキリスト教の教典に貶め、エクレシアをキリスト教なる宗教に幽閉している。中傷する者たちは哀れにも告発する者サタンの霊によりドライブされている。その根底にはサタンの嫉妬がある。なぜ? サタンは自分が最も高き存在(神)になりたかったからである。
3 原語では「エロヒム」である。
4 満たしている「場所・ところ」ではない。充満(プレローマ)である。岩波訳では「この方」はキリストを指しているとしている。
5 キリストがわれわれの中で生きられ、われわれを通して生かし出されるのだ。これがエミュレーションである。

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