新改訳聖書の偏向的誤訳を再建主義者も指摘
私は常々、新改訳聖書の偏向的誤訳-ギリシャ語の初歩を知れば分かるレベルだから意図的だろう-を指摘している。訳者の神学マトリックスによるフィルターを通して分泌した要素があまりに多過ぎており、かなり汚染されていると言える。
中でも「イエス・キリストに対する信仰」(Gal 2:20など)の誤りは致命的であり、プロテスタントの「信仰義認」の根底にある人間中心主義による誤りであることはすでに指摘した。正解は「イエス・キリストのフェイス」。この誤訳によりプロテスタント信者は自分の信仰を振り絞るクルシチャン化するわけだ。
今回、再建主義者である富井氏も同じ問題点の指摘をされているのでCLIPしておく。
tomi 2018/05/16(水) 13:09
アルミニウス主義に基づく新改訳
すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ・・・(ローマ3・22)
この箇所の原語は次のとおり。(便宜上、ローマ字表記。ギリシア表記はURLをクリック)
dikaiosunh de qeou dia pistewV ihsou cristou eiV pantaV touV pisteuontaV …
「イエス・キリストを信じる信仰」と訳されている
”pistewV ihsou cristou”は、
faith “of” Jesus Christであり、faith “in” Jesus Christではない。
なぜならばihsou cristouは属格であり「イエス・キリストの」という意味だから。
日本語では「イエス・キリストの信仰」と訳すべき。
“eiV pantaV touV pisteuontaV”は、pantaV touV pisteuontaVが「信じる者すべて」という意味で、eiVは、英語のintoやto、forなどに当たる前置詞。
つまり、「信じる者すべてのための」「信じる者すべてへの」
つまり、この箇所は、
すなわち、信じる者すべてのためのイエス・キリストの信仰による神の義
または、
すなわち、信じる者すべてへの(=に与えられる)イエス・キリストの信仰による神の義
と訳すことができる。
全体としては次のようになる。
すなわち、信じる者すべてに与えられるイエス・キリストの信仰による神の義
新改訳の「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」はアルミニウス主義的です。
人間が主体になっている。
原語では、「イエス・キリストが持っておられた完全な信仰によって得られた神の義が信じる者すべてに与えられた」ということを主張している。
イエス・キリストが主体である。
新改訳は、「人間に救済の主導権を与える」アルミニウス主義の影響を受けた翻訳聖書である。
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