ハート-ブレイン・コネクション=フェイスはハートマター

最近の知見では、大脳を構成するニューロンが心臓や小腸にも存在することが確認されている。つまり思考や記憶も大脳だけではなく、体性思考や記憶が存在するのだ。

心臓移植などでドナーの何かがレシピエントに伝達される現象はよく知られている。好みや記憶などが変わるのだ。聖書では人は体・魂・霊から構成され(Gen 2:7;1Thess 5:23)、魂は知性・感情・意志の機能がある。

ここで重要なのはフェイスはブレインの領域ではなく、心[1]心とは霊と魂の相互作用として内的に展開する状態・あり方であり、それ自体は器官ではない。の領域の現象。いわゆる大脳と同期するマインドで「信じます、信じます」とか「我は・・・を信ず~」とお題目を唱えてもしばしば空振りに終わる。主は言われた、で信じるならば、そのとおりになるであろう、と(Mark 11:23)。

心とマインドの関係はディープである(☞霊の機能と魂・体の相互作用について)。最新の医学では心臓もマインドを持つことがわかってきた。主は言われた、心で疑うな、と(Mark 11:23;Luke 24:38)。聖霊はオツムから流れるのではなく、腹から川々(複数形!)となって流れる(John 7:38)。実は小腸にも”脳”があるのだ。そこはセロトニンの宝庫。かくしてロゴスなる言葉を聞くと大脳で解釈し、心に下り(このときに言葉は主観的なレーマとなる)、ついに腹から聖霊が川々となって流れ出る。オツムの空転現象としての神学などに滞留するな。それは単なるマトリックス。

【心】を尽くして主に信頼せよ、自分の【思い】に頼ってはならない。-Prov 3:5

「神は彼らの目をくらまし、【心】をかたくなになさった。それは、彼らが目で見ず、【心】で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」。-Matt 12:40

聖霊はジーザスの言葉とわざと御人格を証しされる霊(John 16:13-15)。それはジーザスの体性記憶をも与えてくださる(☞聖霊のメモリー)。なぜなら私たちはキリストの体であるから。私たちはアダム系の「私」の記憶、つまり五感のスーツを着ていた私の経験や価値観などのマトリックスによって生きるのではない。キリストの言葉と記憶によって生きるのである。それは死と復活を経た新しい創造としての私の生き方である。ゆえにパウロは言う-

生きるとはキリストである。-Phil 1:21

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1 心とは霊と魂の相互作用として内的に展開する状態・あり方であり、それ自体は器官ではない。

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