ニュー・クリエイションに生きる

今回の英国のキャンプでも語られたテーマ:ニュー・クリエイション

最初のアダムは失敗した。そのため全地は呪われ、旧創造として虚無に服している(Rom 8:20)。しかし、神ご自身が受肉されたジーザスは最後のアダムとしてその死により旧創造を終わらせ、第二の人、新創造の初穂として復活された。私たち信じる者はその死と復活にあずかり、今やキリストを長兄とするYHWH家の一員にしてエロヒム属とされている。うちにYHWHエロヒムを宿し、その方がわれわれの肉を通して生き出て下さるのだ。これが敬虔(Eusebeia)の奥義(1Tim 3:16)。われわれはYHWHをエミュレートする(Eph 5:1)。

元々神[1] … Continue readingは人を内側も外側もご自身に似せて創造しようとされ、型にを持たせた。この時点で、人は神のような存在だった[2] … Continue reading。そして地を統治することを委託され、すべての生物に名をつける権威を与えられた。

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。

神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。-Gen 1:26;2:19

この命名する行為は、実はそれぞれの生き物にとってのリアリティを創り出すことに他ならない。例えば、「ライオン」と命名された動物はコレコレの特徴があり、アレコレの行動をし、コウコウであると。これが私たちのマインドのうちに構築された「ライオン」のリアリティである。あるいは「ガン」。DNAが損傷され、異常なタンパク質が勝手に増殖し、生体を死に至らしめる。ステージ4ともなるとほとんど助からない、治療法は・・・云々。こうして私たちのマインドにとっての「ガン」というリアリティが構築され、いざガンと診断されると、このリアリティがマインドに展開され、その中に自分を閉じ込め、最悪死を覚悟する。つまりその名前がつけられたリアリティを信じて、「ライオンは怖い」、「ガンは致命的病だ」とマインドは受け入れてしまう。よって信じた通りになるのだ。

かくのごとく、名前を付ける行為は神から委ねられた権威であるが、これが善悪を知る木の実を食べた人類にとっては自縄自縛の結果を生むことになった。人は現象や事象に名前をつけて、フレームにはめ込まないと不安を抱くのだ。「○○主義」とか、「××派」とか・・・。こうしてマインドの中でリアリティを作り出し、それに基づいて意思決定をし、言動を決める。たとえそれが真実ではなかったとしても、その人にとってはあくまでもリアリティなのだ。

ところがイエスにとってのリアリティはわれわれのそれとは相当に異なっている。たとえば、男だけで五千人を五つのパンと二匹の魚で飽かせた事件。弟子たちはそんなパンと魚の数ではとても無理と焦った。が、イエスは悠々としていた。彼の信仰にとってはそれで十分だったのだ。あるいは嵐の中の船でも悠々と寝ていた。弟子たちは焦りまくったが、イエスにとっては一言で解決する事態に過ぎなかった。

イエスにとっての目に見えるリアリティはその信仰によっていくらでも変え得るものであった。彼はつねに霊的領域における真理を見ていたからだ。目に見えるものは目に見えないものが実体(フレーム)化されるものだからだ(Heb 11:3)。その目に見えない領域に働くのがフェイスだ(Heb 11:1)。かくしてイエスのマインドは常に親密なる父なる神との関係によって、その御父の能力とパワーが介入することを知っていた。かくして「地上に御心がなる」ことを実証したのだ(Rom 12:2)。ゆえにイエスを見た者は父を見た(John 14:9)。私たちの病気や問題を神がどう見ておられるかは、イエスの言動を見れば十分に理解できる[3] … Continue reading

地上において神の国を現出させるためには、イエスの言動でわかるとおり、マインドのトランスフォーメーション、すなわちイエスのマインド(1Cor 2:16)がわれわれのマインドを占めることと;フェイスによって権威をもって語り出すことがポイントになる(2Cor 4:13)。語り出された言葉(レーマ)には神の国の力(デュナミス)があるのだ。アダムが喪失した権威と能力をイエスはその血によって贖い取られた。イエスの血の値段がどの程度のものか考えて欲しい(1Peter 1:19)。その血によって贖われた権威と能力がどれほどのものか!

私たちは新しい創造物として、十字架の前には存在しなかったまったく新しい種である(Gal 6:15)。ニュー・スピーシーズ。うちにキリストを死から蘇らせた聖霊、さらに父と子の内住を得ている存在(Rom 8:11;John 14:23)。YHWHエロヒムがうちに生きている存在。それはスーパーナチュラル! その内にいます神が語り出せば、ないものがあるようになる(Rom 4:17)。私たちが何かに名をつけることによりリアリティを作り出すことは、そのことの影(型)なのだ。

御心が天になるとおり、地にもなるように。この祈りはまさしく、アダムが喪失した統治を、今・ここで、現出させることに他ならない[4]ただし、再建主義との違いは前に指摘したので、繰り返さなさい。。キリストにある私たちはニュー・クリエーションであり、イエスの血の代価によって得られたその権威と能力を有している。だからパウロはコリントで肉的な騒乱にある兄弟姉妹に対して

相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。-1Cor 3:3

と叱責する。邦語訳では「単なる人として」のニュアンスであるが、原文にはそのような修飾はない。「人として歩んでいる」となっている。え?! ということは、本来人ではないことになる!? そう、私たちは新しい創造物、エロヒム属。イエスの血と脇腹の水により、御霊から生み出された、それまでは存在していなかった創造物。ホモサピエンスではなく、ネオ・ホモサピエンスである。今回のメッセでは光の国から来たウルトマンであるとなぞらえたが、そのとおりなのだ。ジーザスと同じにこの世のものではない。エイリアンである! その有する権威と能力はキリスト教が教えるようなものではない。死んだら天国に行けるといった幼稚園を卒業せよ! 今・ここで、自分のアイデンティティー・ポジション・アビリティー・インヘリタンスに覚醒せよ!(☞iPAIの覚醒

ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ・・・-Ps 8:5

YHWHエロヒムはミケランジェロの絵画にあるギャップを埋めて下さったのだ。

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1 この神概念は聖書の概念とは微妙にずれていることはすでに何度も指摘している。言語はYHWHエロヒムである。エロヒムとは霊的生命体の総称。その最も高きエロヒムがYHWH、つまり父・子・聖霊にいます創造主なるお方である。
2 あとはいのちの木の実を得れば実質を得たのだが、サタンは人のこの事実に不足があるかのようにエバを誘惑し、先回りして善悪の木の実へと彼らを誘導した。またモーセはパロに対してとエロヒムとされている(Exo 7:1)。
3 病気や問題や貧困は私たちを清めるために神が与えしものと言ったキリスト教の考え方を捨てよ! 主の祈りは「天になるとおり、地にもなるように」だ。果たして天に病気や問題や貧困があるだろうか?
4 ただし、再建主義との違いは前に指摘したので、繰り返さなさい。

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