最後のラッパとはどのラッパ?
わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。-1Cor 15:51-52
このラッパについては様々な解釈がある。
前艱難(7年)携挙説ではこの聖句のラッパを最後のラッパとし、この「上って来い」をもって携挙とする。
その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」-Rev 4:1
また、ある人々はロシュ・ハシャナ(第七の月の第一日、西暦で9月頃)の角笛のラッパであるとする。根拠は-
イスラエルの人々に告げなさい。第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい。-Lev 23:24
この数年、ロシュ・ハシャナに携挙があると騒いだ人々がけっこういるのだ。
極私的には啓示録にある七つラッパの七番目と解釈してきた(☞終末の予言について)。が、どうも再考を要するかもしれない。言語的には「最後のラッパ」とは「終末のラッパ」の意味であり、「シーケンシャルな最後」ではないのだ。
結論から言うと、共同体を招集したり旅立ちなどの際に吹かれるふたつの銀のラッパと、次の記事では指摘する。
銀のラッパを二本作りなさい。それは打ち出し作りとし、共同体を呼び集めたり、宿営を旅立たせるために用いなさい。二つとも吹くときには、共同体全体があなたのもとに、臨在の幕屋の入り口に集まる。一つだけを吹くときには、イスラエルの部族の長である指導者があなたのもとに集まる。-Num 10:2-4
詳細はこの記事を参照してほしい。言えることは携挙はミステリーなのだ。ゆえに軽々にタイム・セッティングなどをすべきものではない。ちなみに英国のKingdom Faithではエスカトロジー(終末論)はほとんど触れない。今・ここで、フェイスにより生きることにフォーカスするからだ。
最近の、特にチャック・スミス系の前艱難携挙説の人々がケイキョ・ケイキョと煽っている風潮には警鐘を鳴らしておく。これで携挙待ち疲れ症候群に陥る人々が少なくない。われわれは携挙を逃避的に待ち望むべきではない。神の委託は「地を治めよ」だから。天のリアリティーを地にならしめること。このことにフォーカスせよ!
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