聖書の鳥観図-Dr.Luke的理解と再建主義的理解

いつもの再建主義の富井氏の提示されたこのふたつのシェーマ()。これを拝見するとポスト・ミレによる旧約と新約の理解が実に明快に分かります。ちょっとお借りしましょう(見にくい場合は上のリンクを)。

 

ポイントはAD70年に旧イスラエルは排除され(旧約の終焉)、再興されたイスラエルがエクレシアであるとし(新約の開始)、神の臨在の場である旧神殿も排除され、クリスチャンの肉体が聖霊の神殿とされたと言うわけだ。

ちょうどこれらの図に対応する私のシェーマがあるので、再掲しておく。

イスラエルとエクレシアの関係については

イスラエルとエクレシアの関係

ポイントは、私の理解は善悪の木の平面といのちの平面による立体像であること。そして経綸における致命的相違は、いのちの吹き込みの有無、つまり旧約では神の霊は機能的に人と関わったが、新約では人のうちにおいていのちとなられる点だ。

また富井氏は十字架から50日後に聖霊の内住が起きたとしているが、聖霊は主が復活した週の初めの日の夜にすでに吹き込まれている(John 20:19-22)。いのちとしての聖霊の分与である。ペンテコステの聖霊の注ぎは父の約束である力としてのそれであり、経綸的なものである。

最後にこれもすでに紹介しているが、Dr.Lukeと富井氏の聖書理解の致命的な違いをまとめたシェーマだ。

ここでもポイントは一平面上で見るのではなく、3D視点から見ること。また現在の経綸では、霊はニュー・クリーチャーだが、このボディは旧創造に属するため、神の国に物理的に入ることはできない(1Cor 15:50)。ゆえに完全なる神の国の物理的現れは、携挙によりこのボディが霊のボディに変えられる携挙と主の再臨後となるわけ。この点、富井氏は、AD70年に携挙も再臨もあったとし、現在はすでに千年期であり、全世界が福音化された後、主は二度目の再臨をされるとする[1]これでは再臨ではなく、再々臨であろうと思うが・・・。

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1 これでは再臨ではなく、再々臨であろうと思うが・・・。

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