ニッポンキリスト教界との付き合い方-特にネットの情報に関して-

かつてモノした記事ですが、昨今のCT問題などネット上の事件に関連して、再掲しておきます-

これはなかなかヤヤコシイことです。私は次のポイントを心がけています:

前提:この業界はきわめて閉鎖的で、特殊にして病的な空間である。人は閉鎖空間に置かれると精神的におかしくなる傾向がある。

①真理は多数決によらないこと。しばしば人が喜んだり、群れるものは肉に仕えるものであり、肉を高揚させるものである。かえって芳しくない評価をいただくことは真理にあることの証明となる。神の方法は主流派によるものではなく、つねに少数派によっている。

②人の証言にはしばしば偽りや誇張がある。よって人の言葉と争わないこと。特に病的な人の言葉はそうです。認知の歪曲と記憶の歪があります。実際この業界の闇は相当に深い。

③人の評価と神の評価は、たいていの場合、反対であること。人は現象を見て判断しますが、主は動機を見て下さいます。よって人の評価を失っても神の評価を獲得することを心がける。

④人の前で何かを失うことは、神の前で何かを得ること。私たちはこの業界で何かを獲得したり、自分の旗を掲げることは求めない方が幸い。

⑤自分の人生(特に生活の基盤)をこの業界に預けないこと。私たちはこの世の者ではないが、この世にある者である。いにしえのモーセもヨセフもみなエジプトで訓練を受けている。むしろカナンには親の資産を食い潰している愚かな兄たちがいた[1]この場合のエジプトはこの世、カナンの地はキリスト教なる宗教を意味する。現在のニッポンキ業界を見ればこの譬えの意味は明らかであろう。。エジプトの学問と富を自分で獲得せよ。

⑥この業界はいのちを賭するに値するところではない。私たちがいのちを賭するのはイエスと教会(エクレシア)であって、教界ではない。

⑦最後に裁く方は主であり、その裁きは真実である。人の裁きは何ら恐れるには足らない。その最後の場面を常に思っていること。

結論:内にいますキリスト-栄光の望み!

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1 この場合のエジプトはこの世、カナンの地はキリスト教なる宗教を意味する。現在のニッポンキ業界を見ればこの譬えの意味は明らかであろう。

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