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財前五郎の論理

愛と赦しに満ち、倫理的にも高潔清貧で、誠実な、しかしメスがいま一つ切れない外科医と、財前五郎のごとく野心に満ち、愛人もいて、名声とカネにも執着するが、しかしメスの切れは抜群の外科医と、あなたが切ってもらうとしたら、ど ち ら に?Dr.Lukeはもちろん、財前に切ってもらう。

・・・と言う話は前から何度もしているわけだが、今回、小沢さんが奥様に刺されたようだ。昨年11月に離婚、11枚の便せんにしたためられたお手紙が週刊文春に公開されたとか。


極私的には、こんなことはどうでもいいことで、社会を制御する術をもっている彼には、前から一度やってもらいたいと思っているわけだが、これは致命傷になるだろうか?昔、ある政治家が国会で3人も愛人がいると追及された際、彼は「無礼な、5人だ!」と応答したようだが、政治家はこれくらいでなくてはいかんと思うのだ。

さらについでに小沢ガールズのひとり田中美絵子議員と国土省のキャリア官僚の路上キス・シーンも公開されたようだ。

この副局長は更迭されたが、何ゆえに?・・・と極私的には思うわけ。彼の役人としての技量と路上キスは関係ないだろうに・・・。こうして一人またひとりと有能なる人材が粛清されるのだ。愛と赦しと、高潔で清貧で、女にもモテず、しかも仕事もできない者が生き残る社会の将来は見えている。そもそもこういった記事がウケる、すなわちそれを喜ぶ大衆がいるわけだ。彼らはこれをエサにしている。ちなみにニッポンキリスト教でも同じことが行われている。繰り返すが、ニッポンは確実にオワル、否、オワッテイル。

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ちなみに『シオンの議定書』にはこうあるのだ:

いつの時代でも民衆と言うものは、個人も同様だが、言論と事実とを混同し、直に自己の感覚で現れてくるもので満足し、社会生活の中で約束されたことが実現したかどうかを検討する者は稀である。ゆえに我々は人の目に立つ制度を設け、それが進歩に向かってよく活躍していることをはっきり知らしめるであろう。

我々はすべての政党の自由主義的な綱領や主張を取り入れて、これを我々陣営の弁士に教え込む。すると弁士らは民衆が聞き飽きて逃げ出すほどに喋り立てるのである。世論を支配するには、相反する幾つもの説を並べ立てて判断を当惑させ、あたかも迷宮に入り込んで困ったようにし、ついには結局、政治問題には何の意見も持たない方がよいと考えさせるようにしなければならぬ。政治問題などは指導者だけが理解すべきもので民衆には理解させない。これが第一の秘密である。

政治に成功する第二の秘密は、人々の欠点や欲情を倍加させ、これに対する法律規則を頻発して、その混乱の中で誰もがわけがわからなくなり、人民相互の間にも理解ができないようにする。そうなると人心の中に軋轢の種がまかれ、我々に従順でない共同体を攪乱するのに都合がよくなるし、また個人的な企てで我々の仕事を妨害する者の気勢を殺ぐようになる。個人的発意ほど危険なものはない。もしそれあ天才を発揮すると、我々が紛争の種をまいた民衆の百万よりも実力がある。

我々がゴイム社会の教育を指導するには、ゴイムが何か個人的発意で努力しようとするたびごとに、失望してしまうよういするのである。個人の自由を極端に発揮してやる企ては、他人の自由な企てと衝突するとき無力となる。そこで精神的に大打撃を蒙り、失望、意気消沈ととなる。我々はかくのごとく自由で疲労困憊させ、ついに彼らが国際的支配力を我々に提供するようになる。

「自由で疲労困憊」-まことにオツムのよろしいわがニッポン国民様の状態だ。民主党などはこのままを行っているではないか。その議定書でも政治と道徳はそもそも関係ないと言われている。小沢さん、民主党などはぶっ壊して、田中角栄の趣意返し、最後に大暴れしてくださいよ!

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