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薛涛:春望詞其二

月曜日、すごろくで言えば、また振り出しへ。金曜日は上がり。こうしてクルクルと回っていくのだ。しかし、最近、株と金利がちょっと不安定だが、人出は多い。考えてみれば、こうやって人々が日曜日とか休日にカネを使うので景気がよくなるわけで、民主党やニッポンキリスト教的に凍みたれたことをしていれば、世の中はたちまち干上がる。いわゆる「日曜日の朝は礼拝厳守~」的なキリスト教が受けれられないのは当たり前*1。ちょっと思考実験すれば分かるであろう:日本国民がみなキリスト教徒になり、日曜日には全員がいわゆる礼拝(オツトメ)に出席していたら、観光地にも映画館にもどこにも人がいなくなり、経済はたちまちアウト。そもそも不気味だ。人々がそれぞれに家族で日曜日や休日にはあちこちに繰り出すのがホッとできる光景。

だいたい、キリスト教には風流というものがまったくない。今の狂気の入った病んだニッポンキリスト教の様を見れば分かる。あれがキリスト教の行き着くところ。当然の帰結なのだ。私はかねがね言っているが、私はキリスト教徒などではないのだ。イエスもキリスト教の創始者でもなければ、教祖でもない。ただいのちを下さる、しかも豊かに下さるために時空間に来れられたお方(John 10:10)。そのいのちを楽しむこと、味わうこと、これが人生の歓びなのだ。彼はけっして風流を解すことのできないような無粋な男ではなかったはずだ。まあ、私は最近は風流人を気取っているが・・・というわけで、「日曜日の夜はベッドが広い~」のだ*2

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さて、先に魚玄機の詩を紹介したが、この薛濤もなかなか泣けるのだ。高級官僚の娘として生まれ、それなりの学問と教養を身につけたにもかかわらず、父親の死により生活に困窮。いわゆる妓女となる。彼女は教養のある詩人たちと交流を持ち、詩を書いた色紙(薛濤箋)を交換し、ついには図書館の官吏となる。この春望の詩には四首あるのだが、本日は其の二。

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草を攬(と)りて 同心を結び、将に以て 知音に遺らんとす。
春の愁ひの正に断絶して、 春鳥復(また)哀吟す。

漢詩紀行 張継・杜牧・蘇東坡 #1

*1:聞くところによると由緒正しいニッポンキリスト教では午前10時からの礼拝のみが正統な礼拝なのとか・・・。●○じゃん!主のお言葉は、いつやるか、今でしょ!だ(John 4:23)
*2:中東関係などの注目すべきニュースはTwitterにまわしております。

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