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太陽は暗くなり

やや湿度が高いものの、気温は低め。気持ちのイイ走りができた。蝉の声と鶯の声が一緒に聞こえるのもなかなか風情がある。漢詩がもうひとつ詠めそうだ。

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さて、太陽に異変が起きていることはここ数年このブログでも紹介してきた。太陽活動と人間の心身とは関係があり、太陽がおかしくなると人間社会もおかしくなる。戦争なども太陽活動と相関しているのだ。で、今回、この写真を見て欲しい。巨大なコロナホール

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まさに

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。-Matt 24:29

現在、ポールシフトが起きつつあるようで、NとSが四極に分離するらしい。さらにすごい現象は磁力線が分断と融合を行って膨大なエネルギーを放出するのだ。神は太陽や月を「しるし」として創造された。ダニエル書の最後の7年が始まる年は、2011年、2014年、2019年などがあり得ることをメッセージでも語ったが、中でも2014年は月食や日食とユダヤ歴がシンクロすることで注目されている。そう、サムシング・ハップニングなのだ。

ある意味、私にとってニッポンキリスト教やニッポンなどはどうでもよいこと。大きな神のご計画が今、眼前で成就しつつあることとに心が集中している。わが国はユダヤ人が作った国であり、神の選ばれし、最後の時代に大きな働きをする民族だととの説もあるが、知的好奇心の対象としては面白いものの、極私的にはなのだ。肉のものは何もなし得ないのだから。今日、神の働きを進めるのは霊的にはエクレシア、地的にはイスラエルである。もしかすると、全世界からのイスラエルへの帰還者の最終が日本人ユダヤ人、と言うシナリオもあるかもしれないとは思うが・・・。

繰り返すが、ニッポンキリスト教は壊滅し、ニッポンも終焉を迎える、否、すでに迎えつつある。本当はみな分かっているはずだ。ただ、見たくない、聞きたくないだけ。前から言っているように、このふたつは互いに合わせ鏡だ。このようなものを頼る者は確実に失望する。私たちの生きる術をどこに置くのか?社会システムや自分の考え・価値観、あるいは嗜好や満足に置くならば流される。まことに-

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」-Matt 7:24-27

わたしのことば-これのみが今後の世の始まりからなかったような大患難の中で私たちを守る。明確に警告する:聖書の御言葉を棄損する者は呪われよ。言っておくが、教会は7年間の艱難前に自動的に携挙されることはない それは少なくとも前半の3年半の艱難期を通過する。下手をすると後半の大患難にも入ることだろう。肉のものは焼かれるのだ。それは決して神の国には入れない。再建主義の過ちはここにあるのだ。神の扱いは「あるがままのあなたは高価で尊い、何でも愛して許して」的な砂糖まぶし福音のように甘いものではない。繰り返すが、リバイバルではなく、サバイバルに備えよ。主御自身が言われるではないか-

しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。-Luke 18:8

追記:福島はスルーした燃料が土の中に入り込んで、下手をすると再臨界を起こしている可能性がある。要するにアンコトローラブルであると何度も書いた。おそらく専門的知識を有する方と思われるが、すでに3011年6月の時点で詳細な分析を試みているBlogを見つけた。この方の診立ては次の図で分かる:

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Comment

>もしかすると、全世界からのイスラエルへの帰還者の最終が日本人ユダヤ人、と言うシナリオもあるかもしれないとは思うが・・・。


やっぱり(笑)

同祖論的に考えたとき、行きつく先はコレでしょうね。

地上で逃げることを考えると、最終的にはあそこしかないのかしらん、とも思います。

  • 2013/07/24 09:42
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坂井能大

少し前に浜岡原発の隣の宣伝施設へある兄弟と行きましたが、燃料棒の模型が展示されています。
予約とか無くても見学できますので、強くお勧めします。

…防波堤のスゴサを普通のお姉さんが説明している姿には失笑を禁じえませんでしたが(笑)

ポピー

主イエスの誕生を正確に予測したのも科学者、博士たちでしたね。太陽、月、諸々の自然現象を御言葉に照らして注意深く見張って行かなくてはなりませんね。

>肉のものは何もなし得ないのだから。
まったくもってアーメンです。「ありのままで愛されている。」本当によく聞きます。
でもそれは、肉によって、魂によって生きる余地を期待させるものではないでしょうか。ひどい惑わしです。しかもその渇きはいやしがたく、さらに募って苦しみます。私はその渇きと苦しみには二度と戻りたくありません。

『ありのままこそ、愛されていない。』その ” 絶望 ” を知ることは、イエスの十字架の恵み知らせ、主にある自由、主にあるいのちを味わう唯一の道でしょう。イエスへの全面的依存。これこそいのちです!

「自分のため」にもがくような、悠長なことは言ってられない時代に入った感は否めません。一人一人、主を知ることを切に追い求めるよう、願ってやみません。

記事、感謝です。

Luke

そうですね、真に絶望した人は幸いです。誰も自分の髪を引っ張って飛べないと苦しむ人はいません。が、クルシチャンはこれをやっているわけです。
ある信仰の先達が言っています、クリスチャンの歩みは困難なのではなく、不可能なのだと。
これを知れば解放ですよ!あとは神任せ、聖霊任せですから^^

  • 2013/07/26 22:15
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