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形のないエクレシア

やや曇りで湿度が高いが、走った後の熱いシャワーがサイコウだ。うん、本日もハッピー・モードだ。最近、学生諸君に朝からやたらテンションが高いと言われる始末。ちょっとウザがられているかもだ

さて、すでにここでも2007年ころから書いているが、英国のノーウッチのコーナー・ストーン・チャーチではいわゆる主日礼拝を行わず、会堂やチャペルと称される建物すら確保していない。これは主日礼拝出席厳守とするニッポンキリスト教からするトンデモな話となるだろう。特に午前10時からの礼拝のみが正当であるとする向きには耐えられないものと推察する次第。リーダーのリチャード・ジョージは私と同じく、英国のコリン・アーカートのKingdom Faithの出身であるが、その霊的資産を尊びつつ、具体的なあり方と歩みは完全に異にする。

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heritage

We are a young church, begun in late Summer 2005, and still in our infancy; God is building our foundations.

We are in ’covenant relationship’ with Kingdom Faith Ministries, led by Pastor (Apostle) Colin Urquhart, in West Sussex, UK.

We respect and honour our heritage from Kingdom Faith Ministries (KFM) and The Way of the Spirit, begun by John and Mrguerite McKay whilst part of KFM, and cling to the revival dynamic at the heart of each. We see ourselves part of, and submitted to, the apostolic ministry of Pastor Colin.

Though Our Kingdom Faith and The Way of the Spirit roots are entangled and, though here in Norwich Cornerstone church and The Way of the Spirit operate as two legal entities, in our hearts they are hard to separate.

(NB Our views on Sunday morning services and how they relate to Church life are not necessarily shared by Kingdom Faith Ministries).

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彼らはいつでもどこでも、例えばパプやスナック、あるいはコミュニティセンターなどにおいて、自在に交わりを持ち、キリストのみをシェアするのだ。このようなエクレシアのあり方と歩みのビジョンは2006年頃からここでも繰り返し書いてきたが、私の念願でもあったところ。KFCでも今年から一切のメッセージは兄弟たちによることになり、すでに私のミニストリーからは完全に独立している。そこで今般、現在のチャペルの運営や日曜礼拝などは兄弟たちが責任を持ち、名実ともに新しい教会としてスタートすることになった。実は"Kingdom Fellowship"はCDやDVDの販売の関係で、私の登録商標となっているので、今年末を目途に彼らには独自の名称を唱えていただくことになっている。彼らのビジョンは実に大きいものがあり、今後の歩みを期待したい。

かくして、私たちの間でも、すでに何も所有せず、いわゆる牧師や信徒の区別もなく、教団組織や役員会、さらにチャペルや日曜礼拝すらもないキリストにある交わりが自然発生的に起こされている。神出鬼没、自由にいつでもどこでも出現するエクレシア*1。まあ、小市民Dr.Luke的には何というか、実に楽しくかつワクワクしている次第。これからここでも与太話に加えて、ぽつぽつとこのあたりも書いてみるつもりではある*2

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。-Matt 18:20

では、今日もハッピーしようぜ

*1:と言っても、別にニッポンキリスト教のいわゆる日曜礼拝をあえて否定するつもりもないので、そこんとこヨロシク!
*2:このブログは名前のとおり、私の「与太話」する場なのだ そのつもりで読んで下さることを期待する次第。

Comment

heaven

いつもブログ読ませてもらってます。
ルカさんの言われるニッポンキリスト教への糾弾が、今一何を対象とされてるのかまだわからないですけど、私も二年前にハウスチャーチを始めて、牧師の肩書きを使わず、日曜礼拝にこだわらず、信徒でローテーション組んで礼拝してますから、多分同じ教会観なんだろうなと思います。
終末観もほぼ一緒なので、共感すること多しです。

  • 2013/09/26 12:25
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Luke

はじめまして。そうですか、これはうれしいことです。
アメーバのように生きるエクレシアですね。これを鋳型にはめると一発でいのちの成長は制限されますから。
神の国は人手によらず育ち、それを人は知らずともよい、とあるとおりです。

  • 2013/09/26 19:41
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shige

テキサスの片田舎にも命の次元に開かれた日本人クリスチャンがおられる事が分かりました。普段は地元のアメリカの教会に集われてます。ごく普通に日本語で聖書の話ができるので嬉しいです。

またちょっと前に書かれてた”肉に仕えることが出来ない者は、霊に仕えることも出来ない”はずっと言われてきたことのようですが、私には新鮮でした。この言葉パクらせて頂きます。

  • 2013/09/27 06:13
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Luke

please feel free :-)

  • 2013/09/27 07:23
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shige

Thank you!!! さいこぉおっ!!! えーちゃんののりで!
ちなみにYazawa大好きです、昔から!
百恵は形而上に封印してます。

  • 2013/09/27 07:59
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Luke

なるほど、形而上学的にですね。まあ、彼女は神話ですから^_^

  • 2013/09/27 09:20
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shige

形而上に、と言ってちょっと太宰をきどってみました。
でもこちらで何度かアメリカ人に太宰を好きか?どうして自殺したと思うか?と聞かれたことがあります。
そこで、この相対の世に絶対を希求するものは破滅する、と言うと一発で決まります。
まだ田舎の草の根レベルではアメリカは聖書に根づいてますね。
善悪知識の木によって絶対者をも相対化するパープリンには?でしょうけど。

  • 2013/09/27 11:34
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Luke

ほお、面白い会話が成立するのですね。太宰も聖書を読んでいたようですけど、その実体に触れることがなかった。
聖書を形而上学に棚上げして、現実生活の糧にできなかったのですね。明治時代に入ったキリスト教はオツムに入ってしまった。これが現在のニッポンキリスト教で実を結んでいるわけです。

  • 2013/09/27 14:11
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shige

去年娘がモザンビークに宣教旅行に行ったのですが、現地の子供たちが御言葉を自然に命にする様を見て「本物の人間を見た」と言っておりました。そして本当にキリストが必要なのは先進諸国に住むキリスト教徒だとも。アーメン。

  • 2013/09/27 22:39
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Luke

なるほど、あちらはオツムではなく、心と言うか霊に直に入るわけですね。
お子さんはバイリンで?

  • 2013/09/28 08:18
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shige

洗脳性の高い高等教育は純粋な福音理解の脅威かと。ルークさんのような選びの器は別として。
今までの経験から、純粋な愚か者は霊の命に生きるために自己を否む度合いが少なくてすむような気がします。もともと自己が小さい(魂が無駄に発達し過ぎてないと言うか)ですから、おつむを素通りして霊に直接みたいな。だから聖書にあるように最初に主はそのようなものを選ばれたのかと思います。
はい、子供たち3人はみなちょっと日本語が怪しいバイリンです。親父は関西弁一本ですが。

  • 2013/09/28 10:23
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Luke

いいですね、テキサスでオヤジがひとり関西弁。大草原の小さな家のような光景が浮かびましたが・・・。

  • 2013/09/28 17:14
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