Hal Lindsey Reportから
- 2014/07/15 20:43
- Category: 信仰
- Tag: Hal Lindsey ダニエル書 イエスの血
ダニエル書の預言に基づき、現在の世界情勢を分析しており、今後の中東情勢の行く末などを気にかける人々にはかなり参考になる。それと共に、今回の私のメッセとも関連するが、いわゆる罪責感で束縛されているクルシチャン向けのメッセもある。私たちの過去・現在・未来のあらゆる罪はすでに赦されている。ならばどうして告白する必要があるのか。それは時間の中で生きる私たちが現在の主との交わりを維持するためなのだ。私たちの良心が汚れると交わりが絶たれる。このゆえに告白するのだ*1。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。-1John 1:9
まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。-Heb 9:14
*1:告白のギリシャ語"homologeo"の意味は「同じことを語る」こと。神のなされた事実に従って、それを語り出すのだ。それは刑事による取調室での白状するといったこととは全く異なる。むしろ、告白は十字架の赦しと血による良心の清めを実体化することだ。つまり主観的にはとても甘い経験なのだ。もうひとつHalが指摘するポイントは、「意識されている罪」を対処すること。この基準は人それぞれに異なる。交わりの障害となる事という視点を外れて、「何でもかんでも吐け!」的になる罠に落ちてはならない。
まこ
>私たちの過去・現在・未来のあらゆる罪はすでに赦されている。ならばどうして告白する必要があるのか。それは時間の中で生きる私たちが現在の主との交わりを維持するためなのだ。私たちの良心が汚れると交わりが絶たれる。このゆえに告白するのだ*1。
ここの部分は端的で、とっても分かりやすかったです。そうだったのかと、納得しました。
既に赦されてるけれど、良心が汚れると主との交わりが絶たれる、本当にその通りですね。
振り返ると本当にそうでした。
主に向かって心の思いを言い表した時のあの清々しさと甘さは、何とも言い表せないような安堵と解放がありました。