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「主の祈り」はすべてを網羅する

クリスチャンのあり方は、ある人々は浸水礼を金華玉条とし、ある人々は聖化されることを、ある人々はしるし・不思議を、ある人々は教会の地方的立場を、ある人々は繁栄の教え・・・・と、まことにそのスペクトルが広い。これでいわゆる「なんとか派」や「かんとか派」ができる。あるいは「自分たちは宗派ではないとする派」もある。しかし、それは各論。総論は「主の祈り」のとおり、神の国の地上での現出にある。その中に、罪のゆるし、病の癒し、しるし・不思議、浸水礼、聖化、教会生活、繁栄など、各論が展開するのだ*1。「主の祈り」をいわゆる主日礼拝の儀式ではなく、私たちがマジ受けするならば、実はかなりやばいことなのだ。サタンはそれを恐れている。なにしろイエスご自身による祈りだから!

SO BE IT!

*1:私も何か対ニッポンキリスト教的にしてアンチテーゼ的スタンスであったかもしれない。宗教はゴメンだと訴えつつ。これはこれで十分楽しませてもらった。が、神の国の現出はそのようなものではない。もろ神の国なのだから。これまで楽しみとしてことがすっ飛んでしまうほどに、やばいのだ!

Comment

坂井能大

個性を発揮しようとせっかく何かを旗印に掲げたのに、
かえってそれに埋没するみたいなことは、
今後日本では更に多く起きると予想します。
個人的には、あんまり型にはまるのは良くないと思いますし。

…つい、誰もが「主にあって自由」なのが一番なのにぃ、と思ってしまいまつ(笑)

Luke

ニッポンキリスト教は神の国ともろ対立する存在かもしれません。

  • 2015/01/27 22:01
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