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神の領域に触れること

それは人間にとっては怖いこと。古の聖徒たちは神を直接見てしまったとき、みな恐れに囚われ、自分はもうダメだ!と叫んでいる。モーセ、ヤコブ、ギデオン、イザヤ、ダニエルなど、みな自分の無力の中に沈み込み、自分は終わりだ、と叫ぶのだ。新約のパウロも同様であろう。彼は打ち倒され、盲目にされた。神と直接出会うことはまことに自分の終焉。究極の無力感。まことに主の御手に落ちることは自分自身の終わりなのだ。が、神の手から彼らの中に確実に神のデゥナミスが流れ込む。パウロが言うとおりだ。

また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。-Eph 1:19-21

追記:この人の証は興味深い(→Video。開けないときはこちら。)。

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ソ連時代にモスクワで伝道し、TVステーションも創立した。現在も3700人のメンバーの教会を運営している。その召命の時、天使とイエス自身の訪れを得て、霊的領域を見ている。その世界についてこう言っている:Now the spirit realm has substance.霊的領域にはサブスタンスがあったと。詳細にその見えた光景を証している。うーむ、似ているかもだ。

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