十字架の甘美
- 2009/04/24 18:05
- Category: 信仰
主イエスは「わたしに従いたい者は、自分の十字架を負って、わたしに従え」と言われた。この自分の十字架は自己否定を要求するが、それは自己疎外ではない。難行苦行でもなく、やせ我慢でもなく、自分を鞭打つことでもない。それは単純にあらゆるモノの見方、判断の基準、行動の原則、これらすべての物差しを神の側に置くことだ。私たちの人生の主権者がどなたであり、その方は何をなして下さったか、また何をなして下さるか、そして私たちに何を求められるのか、それらを知ることができた者は幸いだ。すべての基準は私たちの側にはなく、ユニークにただ神にある。私たちはただ主の主権に服すること。
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エシュコルさとやん
ああ主よ、私はまだまだ主のいのちも十字架も知りません。ただあなたの前にひざまずき主権に服します。この私を生きた供え物とさせて下さい。そして受け入れて下さいます様に。
B、S、G、Fなどの自称牧師連中の被害者達を、主イエスただそのお方だけに目を注ぎます様に。