Entry

トップ > 信仰 > 時代は霊の相克

時代は霊の相克

いのちのことば社があのようなオカルト本を出した。これはすでに10年位前から出ていた『大切なキミへ』シリーズなどを見れば分かっていたこと。「ありのままの自分を大切に」、「愛されるために君は生まれた」、「あるがままのあなたが高価で尊い」・・・その延長にこの本があるのだ。主がペテロに向かってどのように叱責しされたか、よくよく想い巡らせるべきであろう(Matt 16:23)。

今後、同社には重い神の裁きの御手が置かれるだろう。否、すでにその動機において裁かれているのだ。また「クリスチャン新聞」なども、もしかすると、「クリスチャン・トゥデイ」に取って代わられるかも知れない。前者には自分たちこそがギョウカイのスタンダードだとの高慢があるのだ。「記事を書いてやる」と。その高慢ゆえに無防備である。残念ながら、すでに十字架の領域を逸脱し、神の主権を侵しているのだ。そしてそのことに気が付いていない。

かくのごとく十字架(=自己を否むこと、死と復活の原則)を基準にするならば、すべての事象の霊的真偽を判断することができる(Heb 5:14)。ゆえに私が警鐘を鳴らしてきたとおりに、時に私の願いに反して、つねに事が実現してしまうのだ。もちろんまだ未成就の事柄もいくつもあるが、時間の問題に過ぎない。そして最近は主の動きがきわめて速い。

いわんや、世においてをや、である。最近某筋から知った"きゃりーぱみゅぱみゅ"。和製ガガのフレコミだ。学生にも当たってみたが、まだあまり知らないようだ。警鐘として次のクリップを紹介して置く。

時代はまことに霊の相克がそのままに地上に現出する時代。よくよく目を覚ましていないとただちに信仰の破船に至るだろう(1Tim 1:19)。もちろん私たちはすでに十字架においてキリストにあって勝利している。が、その領域を逸脱するならば簡単にサタンの餌食になる(1Peter 5:8)。特に神の主権を侵すならば、それは自らを神の裁きの下に置くことになる。これが今の狂気の入った一部のニッポンキリスト教徒の霊的状況だ。病んだセルフ教が帰着する姿だ。

加えて、決してサタンを侮ってはならない。聖霊派がやるいわゆる「霊の戦い」などは自殺行為だ。彼らはそもそも十字架を知らないのだ。あの戦いの天使ミカエルでさえ、サタンの地位と力を認めているのだ。なおさら私たちにおいては自分の手で相手にとどめを刺してはならない。それは自分に返ってくるゆえに。ミカエルと同様の姿勢を維持する必要があるのだ。

大天使ミカエルは、モーセの遺体のことで悪魔と言い争ったとき、あえてののしって相手を裁こうとはせず、「主がお前を懲らしめてくださるように」と言いました。-Jude 1:9

時代は明らかにティッピング・ポイントを超えた。すでに現在は何が起きても不思議ではない時代。いわゆる知性や理屈を超えた事柄が次々に起きるであろう。そして金の子牛があふれるニッポンキリスト教なるギョウカイは次々に堕ちていく。それはナダブとアビフ(Lev 10:1)、またコラとダタンの運命だ(Num 26:9)。神が受け入れし礼拝と拒絶された礼拝。すなわちカインとアベルの相克で動くのが現代なのだ。カインの霊は自分であらゆるモノを発明し、神の前に持ち出すであろう。そしてことごとく退けられる。そしてますますアベルに対して嫉妬を抱き、敵意と憎悪を向けるのだ。常に自分がどちらにいるのか、十分に御霊によって吟味していただく必要がある。

Trackback URL

https://www.dr-luke.com/diarypro/diary-tb.cgi/2491

Trackback

Access: /Yesterday: /Today: