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2014年、終末のしるしの年

年初、2013年は「ターニング・ポイントの年」であり「イヤー・オブ・ウォー」と言った。そのとおり世界もニッポンも曲がり角を曲がった。そしてシリアをはじめ、スーダンでも戦争状態に。来る2014年は「しるしの年」。私たちは明確な終末のしるしを見る。

再建主義の富井氏によると、現在はすでに千年期であり、福島の放射能も無害、すべての終末的事象はイルミナティによる陰謀であり、それを祈りによって覆せと。中国も滅び、アメリカも派遣を失い、わがニッポンが世界の盟主になるのだとも。しかし彼らのよって立つ公理:「黙示録がAD60年代に書かれた」はすでにここで論駁したし、彼らが言う、「全世界の人々がすべてクリスチャンになった暁にイエスが二度目の再臨(一度目はAD70年に)をされる」との説も自己撞着だ。何ゆえに?すなわち彼らはカルバンの二重予定説に立つからだ。それは救いを受ける人と滅びる人が神によって定められているとする。つまり神の主権的定めにより「滅びる人がいる」と彼らは言うのだ!同時に滅びに定められた人は人の力ではどうしようもないとも。では、どうして全世界がクリスチャンだけになり得るのか?唯一の可能性は信じない者を粛清することだ*1

極私的には再建主義の富井氏の説を理解すべく、できる限りその言に耳を傾けてきたが、すでに彼の言は自己崩壊していると思えてしまうのだ。そもそも神の国を肉なるものが継ぐことはできない。しかるにわれわれの今の体は依然として旧創造に属するもの。これが変えられることなくして文字通りの神の国に入ることはできない。その変貌は主イエスの再臨の時。とすれば、富井氏の言が正しくあるためには、すでにAD70年においてわれわれの肉体が文字通り霊の体に変えられている必要がある。事実は・・・?言わぬもがなであろう。私たちはその体の変貌、つまり来るべき主の再臨の時の栄光化の瞬間を待ち望んでいるのだ(1Cor 15:45)。その後、至福千年期に入るのだ。

被造物だけでなく、"霊"の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。-Rom 8:23

特殊な聖書解釈やパラダイムに固執すると人生を失う。富井氏の献身とスピリットには、いつも言うが、敬意を表するが、家族もなく、仕事もなく、いわゆる自分の教会もなく、文字通り再建主義にすべてを賭けている。極私的にはなんと言う大きなギャンブルであろうかと思えるのだ。最近の彼はさらに先鋭化している印象を受ける。中国を崩壊させ、ロスチャイルドやロックフェラーを失脚させるのは自分たちであると。福島の放射能も微々たるもので無害、というより有益だとすら言う。このビョウキと狂気が蔓延するニッポンキリスト教、神がリバイバルを起こさないのであれば自分は召されることを祈るとか言う者が人の物を盗んだり、神の声を聞いたり何かを見る"預言者"が社会常識がまったく通じなかったり、あるいはある種の神学や働きに入れ込んで自分の仕事や人生を放棄したり・・・、要するに自分がビョウキであることを認識しない人々がかなり多いのだが、富井氏は大丈夫なのだろうか。

かくして繰り返すが、エクレシアは地下に潜る、というか形を一切持たない歩みをするべき時代となっている*2。何も持たないようであるが実はすべてを持ち、貧しいようであるが実は富んでおり、滅びるようだが実は栄えており、人生を儚んでいるようであるが実はおおいに楽しんでおり、何の希望もないようであるが実はこの体の変貌の瞬間、すなわち主の来臨の時を待ち望んでいるのだ(2Cor 6:8-10)。

*1:そうでなければ彼らの言う神の絶対的真理「二重予定説」を神はある時点で変更すると言うことになる。
*2:人類歴史のもっとも重大な誤りは、主イエスの御名と御言葉をキリスト教のフレームに閉じ込めてしまったことだ。イエスをキリスト教の教祖とし聖書をキリスト教の経典として。エクレシアと福音をキリスト教の柵から解放すること、これこそが歴史を変革するのだ。

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