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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 これだけで、どうして百人もの人に分けられましょう。-2列王記4:43

 神への奉仕において信仰は最も重要な要因であり、それなくしては真の霊的働きはなし得ません。しかし私たちの信仰は訓練と強化を必要とします。神はその目的のために物質的な必要を用いられるのです。漠然とした曖昧な事柄に関して信仰を告白することはそれほど困難ではありません。このことに関しては自分自身を欺むくこともあり得るのです。それは実際的な私たちの信仰がどのように欠如しているのかを明らかにすることができないからです。しかし、いったん経済的問題、飲食物やお金の問題になりますと、事はきわめて具体的になり、私たちの信仰の実際が試されるのです。もし私たちがそのような働きのための必要を神が答えてくださることに信頼していないのであれば、どうして霊的な必要を語ることに益があることでしょうか?私たちは人々に神は生きていると宣べ伝えます。そして神が生きておられることを物質的領域の具体的取り扱いにおいて証明するのです。このように神への内なる確信が確立されていなければ、改めて霊的な必要が生じる時が必要なのです(訳注:それはより困難な信仰の訓練となることを示唆している)。

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