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ピカソ

ファイル 610-1.jpg私の好みはダ・ビンチ、コロー、フェルメールといった光を描く写実画。しかしピカソ展が東京ミッドタウンのサントリー美術館であるので、一度「生」を鑑賞しておこうかと(参考:Dr.Lukeの芸術論)。

初期の「青の時代」の自画像は何か強烈な孤独感で心が凍りそうな感覚を覚える。ちょっと意外だったのはキュビズムと新古典主義時代の「線」がとても美しいこと。女性の体の線などは実に綺麗だ。そして「ミノタウロスと牡牛」に入ると、一言、グロテスク。彼の自我の内面のエロスとヴァイオレンスを見つめた作品との事だが、ある種狂気と紙一重的なアブナさを覚える。晩年は数人の女性関係の葛藤を経験しつつ、自らの内なる欲望をひたすら昇華する「生のもがき」とも言えるほどに、作品を次々に描いたようだ。彼はこうして危うくも崩壊しそうな自我を保っていたのだろうか。戦争の不条理の中の葛藤から生まれた大作「ゲルニカ」は残念ながら見ることができなかった。

彼の抽象画は頭が"かき回される"ことによってある種の挑発を受けるのだ。私たちにとって当たり前の世界を疑ってみよ、あえて壊してみよ、そこに安住などするな、と彼は叫んでいるようだ。コローやフェルメールから受けるある種の日常の中の安堵感、満足感、充足感をあえて壊してしまいたいかのような、彼の内的葛藤の炎をぶつけられる感じだ。自然を愛でることを好む私の自我は、多分、彼の挑戦・挑発には耐えることができないだろう。そこまでに葛藤するエネルギーもすでにない。何でも言えることだが、何かを創造するためには一度全てを破壊し、更地から建て上げるだけのエネルギーが要るのだ。「林住記」に入ったDr.Lukeはやはり花鳥風月を愛でつつ、残された日々を淡々と歩もう。健やかに枯れることを願いつつ。

追記:五木寛之によると「林住記」は「燃えながら枯れていくエネルギー」なのだそうだ。なるほど。私もピカソほどではないが、まだ燃える部分もあるわけで

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zion

冨井氏のブログでも荒田先生の固体核融合技術が絶賛されていますね。

  • 2008/11/17 19:41
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