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いつもお世話になっています。質問があります。罪を犯したとき、肉や魂に注目すると、精神交互作用で、ますますしたいことが出来なくなることを学びました。人から傷つけられたとき、その痛さやそれに対する怒りに注目するのではないと言うことだと思います。しかし、そのようなとき何に注目すればよいか、何にゆだねればよいかが分からなくなってしまうのです。自分の精神の中で迷子になってしまうというか。古い人はもう死んでいるのだから、傷ついていると思っているのは、それは自分でそう思っているだけで、心理学的なパターンに過ぎないと自分に言い聞かせようとしても、なかなかできません(できるときもありますが)。こうなると、律法的にならないように、ならないようにと、結果的に律法的になってしてしまっているような気もします。これも、自転車に乗りなれない子供が、いつの間にか当たり前に乗れるようになる過程でおこることなのでしょうか?諦めずに、信じて行動することが大事だとは思っています。アドバイスお願いします。 |